最愛の父が旅立ちました。
父の容体が悪くなり
最期を意識するようになってから
父が亡くなる時の事も亡くなった後の事も
色々と考え、想像していたけれど
実際は想像とは全然違って
とても穏やかなものでした。
脳梗塞で倒れた父の介護を
母がしていましたが
その母が倒れた為、当時専業主婦だった私が
母からバトンタッチを受け
私の住まいの近くの病院に父を入院させた後
父が3度目の脳梗塞を発症し
医師から今回は難しいと言われたのに
一命を取り留めてから2年。
その時に
必ず親はいつか亡くなると思い知り
この2年間は毎日のように父の元へ通い
父と思い出話をしながら
幼い頃おんぶしてくれた背中をさすり
家族のために一生懸命に働いてくれた
大きな手や足をマッサージし
感謝と愛情を伝えてきた日々でした。
父がいなくなったら私は悲しすぎて
毎日泣き暮らすだろうと
父を見舞った帰り道は
いつもそう思ってました。
父が最期に息を引き取る時は
家族で父を囲み
父を抱きしめ、
みんなの感謝の言葉を聞かせながら
父を見送りたい。
そうも思っていました。
6月に誤嚥性肺炎を起こし
それを乗り越えられたと思いましたが
8月に入りまた肺炎に。
医師から厳しい状態ですと言われ
病院の配慮で
家族みんなが病室に泊まり込み
片時も父から離れずにいたところ
父の容体が落ち着きだした為
立て込んだ仕事をこなすのに
弟は一度家に戻り
疲れから体調を崩した母を
我が家でゆっくり寝かせようと
病室に妹を残し一旦帰宅。
父も穏やかにスヤスヤ眠っていて
ずっと低かったサチュレーションも
何日かぶりに100を維持しているのを確認し
妹も疲れからうたた寝をしていたところ
父は眠ったまま突然心停止。
妹から連絡を受け病室に駆けつけた時には
安らかに寝ているようにしているけれど
明らかに眠っているのではない父の姿に
亡くなった事実を素直に受け入れられたのと
家族に愛情深かった父は
最期の瞬間を家族に見せて
みんなに悲しまれたくなかったのだと悟り
父らしいなと思え
最期に立ち会えなかったことに
後悔はありませんでした。
穏やかで温かな雰囲気の中
お世話になった看護師さん、介護士さん、
家族みんなでエンゼルケアをした後
家族一人一人、父を抱きしめました。
まだ体は柔らかく背中も温かく
毎日体を拭いたりマッサージをする時や
体の向きを変える時に
父を抱き起こしていた感触が蘇り
心から父を愛おしく思い涙が溢れました。
亡くなる前日の夕方
病院のベンチに座り
父とよく散歩した風景を見ながら
一人大泣きをした後
父の元に戻り、父の手を握りながら
まだ言えずにいた数々の思いと
どれだけ感謝しているか
どれだけ大好きか
そしてこの2年間
私は父から幸せな思いを
いっぱいさせてもらえたこと
私のことは心配しなくて大丈夫よと
伝えることが出来ました。
それまで意識朦朧としていたのに
その時は私の方を向き
元気だった頃の父の目で
しっかり私を見てくれ
話しを聞いてくれていました。
もちろん綺麗事ばかりでなく
始めの頃は
介護の現実や父の体が弱っていく様子、
提示される医療の選択に苦悩し
心身共にバランスを崩した
辛い時もありました。
そんな事も今となっては
貴重な人生経験であり
苦労は後に最大の財産になると
身をもって知る事が出来たと思います。
ふとした時に
父はもういないんだという
喪失感と寂しさが押し寄せてきますが
それでも自分の出来る事
してあげたい事は全て全力でやれ
伝えたい思いもちゃんと伝えられたので
後悔の涙や悲壮感はなく
父と共に駆け抜けたこの2年間を
お互い労うかのような
今はそんな穏やかな気持ちです。