個人的に体感温度は最高デイでした。
広島はどうだろうかと久しぶりにテレビをつけた。
70年も経つと被爆者の平均年齢は80歳。
この暑さへの配慮でテントが用意されていた。
8月6日、8月9日、8月15日と八月は続くのだけど、同じ九州内で、しかも広島とも近いのに黙祷の慣習がない地域があることを大人になって知った。
特に熊本の人と長崎へ旅行した時に、「何度も来たことはあるけど原爆資料館に寄ろう」と言うと、そういうのは気持ち悪いから見たくないし、お金も払いたくないと言われてショックを受けたことがある。
小学2年生になった時に、長崎市内に長く住んだ隣のじいちゃんから、永井隆さんの本を夏休みに読むように渡されたことがきっかけで、その後数冊の本を読み、戦前のこと、戦時中のこと、戦後のことを近所のおじいさんやお婆さんに直接聞いてまわった。
大人の人は、恋の話や満州での事、命からがら逃げ切れたこと、助けてくれた中国人、人間は皆同じだと感じたことなど、若かった当時のことを思い返しながら表情豊かに語って下さった。
その時に「知る」という事は、とても大事だと思った。
大人になり、交際相手が長崎出身だったこともあり、長崎市内に週に一度か1ヶ月に一度遊びに行くようになり、本に出てきた如己堂や浦上天主堂、大浦天主堂などと、近所の人などに聞いた長崎で被爆したした人の記憶を頼りに古地図などを片手にあちこち歩き回った。
長崎の人は観光地ということもあってか、とても親切だった。
長崎大学の辺りでぶらぶらしていると、ガイドを申し出られたこともあった。
今、語り継ぐ人が減り、本を読む時に文意が読み取れない、文章の行間が読めないのと同じで、「背景」が読み取れずに「行動」と「結果」だけに目が行き、せっかくお話を聞く機会をえられても、感想を聞くと驚くような答えが返ってくる。
私自身も戦争は経験していないが、このままだと九条の重みが失われてゆきそうで不安に感じる。
今、私たちが、舗装された道を車で走ったり、比較的治安が良いと言われている日本で、夜に出歩いたり、ああ喉が渇いたと思えばコンビニで水を買うことが出来る暮らしぶりは、苦しい時代を生き抜いた人たちのおかげであるということを忘れてはならない。
完全に他人事のような温度差のようなものを感じたりすることがこれまでにあったから、夫が長崎出身で良かったなと少し思った。
昼過ぎると本格的に暑くなり、バケツに水と氷、保冷材を入れてハンカチを搾り、体を拭いた。
ハッカやミントのオイルがあれば尚よかったなー。
このあと、足を浸して、残ったお水は夕方、植物に与えます。
贅沢たまごかけごはん。
残ったスープは昼で食べきり。
頂き物のクオカでヨーグルトも買ってきた。
う~ん、白桃の味がプルーンの味で死んでいる

今、ファミマ×Tポイントでスタンプキャンペやってるよ
キャンペーン期間:8/4(火)~8/31(月)
※応募期間:8/4(火)~9/7(月)
暑くてかなわんので、夕方、非常階段で涼んでいたら、
おなかが空いてマッハで自転車をこいで帰ってくる夫の姿がよく見えた。
∩∩
(・x・)
( .つ┬O
εε≡◎-`J◎
人
あれは ( )

<拡大>
∩∩ マジこぎ。
(・x・)


( .つ┬O
ε≡◎-`J◎
おなかが減りすぎて今日は外で食べようとの事。
近所のジョイフルに出かけた。
そしたら非常に混雑していた(笑)
今、キャンペーン中みたい。
私はウチワの「冷えてます!」にくぎづけ。
私のが先にきました。飲み物は我慢。
あとでご飯は分けてあげます。
とステーキ。
ダブルハンバーグと迷っていたと思われます。
キャンペーンは3,000円以上で応募できるみたいだから無理でした。