今日は両親の結婚記念日だったので、おめでとうコールした。
「おめでとう」と今も仲良くしていてくれることへの「感謝の気持ち」だけで、ここ最近は贈り物はしていない。
だが、忘れずに毎年電話だけはしている。
どうせ母へは父が贈り物をしている。
もう女を捨ててしまったかのようなイデタチでブーちゃんな母に、照れながらもルージュやお花、パフュームなんかを毎年プレゼントしている。
高い品ではないというか、知識がないから高校生がつけるような花の蕾型のチープなトワレをチョイスしてみたり。
父の年代では気恥ずかしいだろうに必ず自分で買いに行っている。
包み紙はピンクやお花柄のかわいらしいもの、リボンも必ず赤やピンクだ。
たしか昨年は、「美容室に行ってきなさい」とお金がおいてあったらしい。
いつからか母の髪は収入が減ってから節約の為、帰省のついでに私が切るようになり、ついでに髪もそめていたから、私が夫側の親との交際で手一杯であまり帰れなくなってからは母の髪はぼうぼうだったようだ。
私としては、こういう時こそ、妹に頑張って欲しいのだが。
自分が困った時だけ、「困った時はお互い様たい」と笑う妹よ。
父からも私達の結婚記念日には電話があった。私の誕生日にも毎年ある。
父は心配して、「お前たちも、たまには外食にいくことはあるのか?」と聞いてきたから、
「記念日だから外食に連れてきてもらって、ちょうど”スシロー”というクルクル寿司のお店でおなかいっぱいになって出てきたところよ。」というと、
「そうか、そうか、良かったなあ。」と、「ちょっとチーチー君に代わってくれ」といい、
夫に「お礼の言葉を述べていたようだ。
夫はどう思っているのだろう。
私は夫の両親にいつも全く逆のことを言われ、されている。
私のことを一体どういう風に伝えているのか、顔合わせの時も挨拶の時も、結婚前に仕事を休んでお義父さんの実家まで手伝いに行かされて文句を言われた時も酷過ぎるんじゃない?と、これまでも何度か言ってみた。
私の母親からは、夫の好き嫌いとあちらのご両親の嗜好を尋ねられ、手料理でもてなしてくれる。
夫の母親からは、自分の嫌いなものを仰せつかり、次々と要求と文句がある。
私の父親は、外食にいく余裕くらいはできたか心配してくれ、遠慮しても夫の好物や肴を自分の小遣いで送ってくれる。
夫の父親は、熊本まで呼びつけご馳走させている個室で、飲まな損とばかりに「うまか~!うまか~!」と店中に響き渡る声で叫び、あおり、こういう店にはどのくらいいくのか?ん?んん~と預かるべきものを親が全部使うから何も預かっていない私のほうを見て言う。
普段も酒は飲むのか、何をどのくらい飲むのか、週に何回飲むのかと会う度にきかれるが、夫の家で酒が出たことは一度もない。
ジュースもない。大体、夫はお酒よりお菓子が好きで、酒を飲むと翌日腹をこわす。
たかり、甘えるばかりで自分の息子に25年、酒の1杯も出したことがないから分からない。
夫の妹は、私が「今日のこの日が外食代の最高たい!」と答えられずに、
「朝と昼は毎日職場で廃棄になる無料のものを食べています。」と答えると、
「はぁ~!タダあああぁあぁぁ~!!」とこれまた、店中に響き渡る声で叫び、タダならもっと出せるはずという顔をする。
理砂さんは初対面からずっとなのだが、私の身につけている物を目を皿のようにして蛇のような執念深さで上下2往復する・・・。
夫のすぐ下だから、あと数年で50歳という年齢にして礼儀を知らぬ。
こないだ、ついに呆れ「いい加減にせんか」と思いながら、同じことをその場でし返した。
顔を赤くしていたから、「自分も見られている」ということに気づいたはずだ。
私が男でも、顔・性格・スタイル・教養・やさしさ・品格、何れにおいても食指は伸ばさない。
一緒にいて恥ずかしくない人を選んだはずが、3人とも一緒にいると凄く恥ずかしい思いをする。
何故、酒の好きな私が横でビンビールをチビチビやっているのか、夫や私の服がみすぼらしいのか、いつも同じなのか誰も気にもかけない。
贅沢三昧のこの人たちは、自分たちのことを可愛そうな人だと思っていて、他人が努力して得た僅かなものをいつも顔をひんまげて羨ましがる。
長崎のおじさんたちの新築の事を聞かれ、「おうちもそうですけど、お人柄もとっても素敵な方たちでした」と答えた時のお義母さんの痙攣した頬。
夫の交際相手が親に会った途端、「好きな人ができた」といって去っていくというのは逃げていったのだろう。
「好きな人ができた」というのは見切りをつけた女の最後の思いやりだ。
未来が見えなければ女は去る。
本当に好きな人ができたのであれば、親に会う前に去る。
私と同じで結婚相手に所得の高さを求めないタイプはたまにいる。
10人に1人か2人くらいの割合だと思う。行動が伴わない人を除けばそれ以下だ。
求めるタイプが悪いわけではない。
子を生み、安定した環境で育て、不自由なく暮らしたいと望むのは女の本能だからだ。
18歳から一人暮らしの一部屋に常に具合の悪いおばあさんがいる。
隣には伯父さん夫婦。これは夫には助けになっただろうが、どんなに善人でも相手には負担でしかない。
自分の親、相手の親、病気のおばあさん、伯父さん夫婦。
考えただけでもきつい。
一人残されて両親の変わりに家長のような親戚づきあい。
嬉々として自分の親戚の冠婚葬祭を連絡し、顎ひとつ、電話1本で代わりに支払うよう命じる親。
その残骸のお返し靴下が今もうちにある。ほぼ長崎大丸の包装紙。紙の劣化からして20年ぐらい前が中心。
190cm近くある人間に25cmの履けもしない靴下だ。
包み紙の数は100以上あった。
お互いよく知りもしない相手との交際だったのだろう。
甘えるだけ甘え、捨てていった病気の母親に10数年、何の援助もなく、親だと言って要求だけある。
息子は一人で一人を支えているのに、家の中に3人も働き手がいて、麻雀、パチンコ、競馬にボート、瀬渡し、ゴルフにカラオケ教室、旅行と道楽三昧で忙しく、娘はブランド亡者で、親のお祝いに「熊本市内は駐車場代がかかるから」と数百円をケチり、目と鼻の先の親の家までガソリン代を使って、どっちが迎えに行くかとメールしてくるような守銭奴だ。
電話代がかかるから連絡は全部メール・・・。
私が挨拶に伺った時もお義父さんはゴルフ、お義母さんは家にいたが手料理も何もなく、家の中は欲望に駆られて買ったような物で溢れ、どうなっているのか?天井の根元が見えず、足の踏み場があるのはテレビ部屋だけで、手土産を渡すと夫のほうを向いて「ありがとう」と言っていた。
お先真っ暗、この状態がいつまで続くか分からない。
中でも親に会うまで辿りついた人はよほど夫のことが好きだったのだろう。
しつけ直された跡がかいま見えるのは、伯母さんやおばあさんではなく、この人のおかげかもしれない。
これだけでも十分に「奇特な人」だと思うが、とどめに相手ができたと言った途端、「自分たちの住んでいる借家を買おうか」と連絡があったそうな。
無論、お金を出して欲しいのと、自分たちの面倒を見ることが前提の同居を考えてのことである。
お祖母さんが生きていて、今、親の変わりに長崎で働きながら面倒をみるのに必死な最中なのにである。
熊本の自分たちが住んでいる家をだ。
仕事はどうするのか、子作り・子育てはどうなるのか。いつになったらそんな余裕ができるのか。
自分の親にも申し訳がたたない。
交際相手は絶望したことだろう。
逃げないほうが不思議だ。
私も親に「お前は親が挨拶にもこんような所に嫁に行って本当に大丈夫とか」と言われた時に逃げようかと思い、その後も何度か逃そこねた。
私を呼び出し、自分たちのほうだけ早々に親族との顔合わせを済ませ、結婚もしておらず夫との交際も浅い私に「働かないかんぞ」と言い、自分の実家の手伝いまで呼びつけて文句、うちの親への礼儀は知らんぷりだったのだ。
それ以降の酷さはもっとだった。ここまで酷いと早く分かっておれば逃げた。
夫の大人になっても治っていない病的な神経質さと心配性と面倒くさがりは、周りに約束を守らぬ自分勝手な甘えた大人がいたのだろうと覚悟はしていたつもりだったが。
どうりで夫が親との距離を離すように気を使ったり、話したがらないわけだ。
夫自身も私と会う前は5年も実家に帰っていない。
親が勝手に仕事を辞めて熊本に行き、住んでいる家と言うだけで、自分の実家ではない!と癇癪を起こしたのもわかる。
親として何をしなかったか、親だと言って何をしてきたのか今ならわかる。
「結婚」という結びつきでよく、育ってきた環境が違うなどというけれど、それ以前の問題な気がする。
私は「誰もこの人たちに躾を施さなかったのだろうか?」と会う度に思うのだが、家族である夫はどう思っているのだろう。
「せからしかけん、関りとうなかし、言われた通りにしてきた」と言っていたが。
夫の話にも、思い出話にも誰もでてこない。お義母さんすら。
出てくるのは、長崎のおじさん2人、それと、しーちゃん。
何度尋ねても、一番長く一緒にいたおばあさんとの思い出だけだ。
長崎の伯母さんがでてこない理由はわからない。
夫はお義父さんの前だと死んだ魚のような目になり、お母さんを見る時は妹をみるような心配顔、本当の妹を見る時は赤の他人。
理砂さんが寄ってくると夫は少しずつフェードアウトして離れていく。
お義父さんの時も同じなことを考えると、お母さんのことだけはやはり好きなのだろう。
お母さんの甘えを許すために、自分が被ればいいのに、家族全員が一丸となって誰かが「いいよ」と言ってくれるまで待ち、他の人に押し付けまくっている。
そんなことを考えていると、他の会社に転職した男の子からメールが来ていた。
「男の子」というのは、私からすると子供みたいな年齢だからだ。
「結婚してすぐ、旦那は働いているというのに奥さんが実家に1週間も2週間も帰って遊びまわっているというのをどう思いますか?」という内容だった。
お!転職と同時に結婚も果たしたのか?と一瞬思ったけど違ったようだ。
友達の話らしい。なあーんだ。
甘い!たった1週間そこらで。上には上がいるのよーん。
20年も亭主についていかず、自分の母親に40年甘えて、その母親が病気でこれから大変という時に捨てるような人もいるのよ。
そして母親の骨を兄弟4人でなすりあい・・・。
種馬状態にした自分のことは棚にあげ、お義父さんの責任の無さを「五島に行ってからおかしくなった」などと言っている。
もちろん、おかしいのは五島ではない。五島は素晴らしい島だ。
相手の親は選べないが、相手は選べる。
不幸のモトだから、そういう甘えた相手を選ばないことだ。
「そんぐらい、どうも思わん」と答えるわけにも行かないので、「本人同士が納得すればよいのでは?理由があるかもしれないし、嫌なら相手にそう伝えて話しあってみては?」と答えといた。
そう、私は解決策をつい探してしまう「やや男脳」よりなのだ。
前にも「彼女が結婚して養って貰おうって魂胆がみえみえで嫌になる」とか言っていた・・・。
こういう時、相談相手が女性であれば「大変ねえ。頑張らないとね」の励ましのほうが世間話として成立するのだが、女脳なのかなあ。
親のような年代の私にどういう回答を求めているかわからんが、男ならもっとシャキっとね。
養うのが嫌なら養ってもらえばいい。
養ってくれる人を探し、その人のお眼鏡に叶うよう努力する。
そして、恥を忍んで親に「自分は養ってもらうほうにしました!」と報告し、相手の親には平身低頭。
結婚しないという手もある。
私も年上の夫から「主夫になってもいい」、自分のほうが扶養に入りたいと言われた時はゾッとした。
前から疑問に思っていたが、家族を養うという感覚がゼロなのは、父親が家にずっといなかったことと、母親が誰のおかげで飯が食えているか、言い聞かせなかったからだろう。
だったら、結婚する前に言ってくれ!という感じだ。
所得が低いのは構わないが、できたら親の酷さも先に教えて欲しかった。
丁度以前の会社から戻ってきて欲しいと連絡が来ていたので、ストレスも残業も増えるだろうがそのほうが収入は増えて、夫の親との交際費を払っても人並みの生活に戻れるだろうし、本当に扶養に入って主夫になってもらおうかと悩んだ。
プライドが高いくせに大丈夫なのか。
たしかに夫は掃除と洗濯が大好きだ。主夫に向いているかもしれない。
しかし、どうやっても「じゃあ代わりに子供を生んでくれ」とはいかない。
そこまで考えるとタンコブ3つ(舅・姑・小姑)抱えたままより、今すぐ子作りできる他の人と出直したほうが早いのではないかと思ってしまう。
タンコブたちにも、そのほうがいいお灸になるかもしれない。
バツイチのまま、嫁をめとりきれなかった場合、苦労するのは1番長生きするであろう(しぶとい?)理砂さんなのだから。
自分の両親、夫(親とは絶縁中)、兄を看取らねばならない。そして高齢とギスギスで恐らく子ができない理砂さんの面倒は1番血が近い本家が見ることになる。
これは逆で、理砂さんたちが離婚した場合にも言えるのだが私はもう看るつもりはない。
夫は子作りの話をすると逃げるので、ひょっとしたら子供がこの人は欲しくないのではないか。
飯炊きばばあが欲しかっただけではないのか?
交際中は、この人はホモではあるまいか?とも思った。カモフラージュ?
それとも世間体の為か?
まさか、親がせからしいから?
最近はその疑念を捨てきれない。
慌てて、「もし、友達の話でなく、自分の話なら、結婚する前に彼女によく確認しておいたほうがいい。」と急いでメールしといた。