三十年くらい前のことだと思う。


家族病理(?)は3代目で発症する

というような話を聞いた。


そして。当時は。


完全に他人事として、

不思議なものだな、と聞いていた。


雷 雷 雷


この前のフーコさんの毒海の話、

から掘っていった前回の続き。



もしかしたら

こんな感じのことかなと

仮説をたててみた。



猫しっぽ猫からだ猫からだ猫からだ猫からだ猫からだ猫からだ猫からだ猫からだ猫からだ猫あたまコスモス



世の中に猛毒はあるけれど、


世の中から見たら、

ほんの小さな、小さなもの。


普通の人は、

毒の池なんて避けて歩く。


毒がなくっても、好き好んで、

池にハマって行く人は珍しい笑い泣き



なのに。


一代目は、よりによって


その池に浸ることを選んで?

なのか

その池から抜け出せないまま?


なのか?



その中に子どもを生み落とす。


モグラ モグラ モグラ モグラ モグラ



毒の池の中に

産み落とされた二代目


生まれた瞬間

自分の周り一帯に広がっていた池を

世界に広がる 大きな毒海と誤認した。


生まれた時から毒漬けで苦しく、


この苦しみから解放されたいと

命からがら


自力でなんとか浅瀬にたどり着けた


❝一見❞、強い二代目


少しばかりラクになって、


自分のような苦しみを、

我が子にはしてほしくないという、


優しい心を持つ

生まれも育ちも❝毒海❞

二代目


だからこそ、

生まれたばかりの我が子に、


「毒海の泳ぎ方マニュアル」

なるものを授けて、


ラクに毒海

泳ぎ抜けるように

手ほどきしてやろうキスマーク


そう、思って頑張るのだ。


自分が苦しんだからこそ、

そんな思いを子供にさせたくない。


強い決意で、子どもを守ろうとする。


ただ、悲しいことに

その「優しさ」の結果は、


下矢印ゾンビの作る安全基地下矢印



手裏剣 手裏剣 手裏剣



ずーっと生まれた時から


毒の池で暮らしてきた二代目は、


人間の暮らす場所は毒海だ

という固定観念に縛られて


他の選択肢に視点を移せない。



だけど。


三代目は、

縦抱きに抱かれた瞬間、


母の背後に広がっている

毒のない広い世界が見えてしまう。


大勢の人が人が楽しそうに暮らす

多数派の世界が見えてしまう。


まだ柔らかい頭で、

あっちで暮らしたほうがラクそうだよ、

と、感じ取る。



そんなマニュアル読んでまで

怖い毒沼に入るより、


あっちで生活しようよ、と誘う。



だけど。


世界は毒海だと信じている

二代目にとって、


その毒の池から出るなんて、

ありえないことだ。


宇宙に出たら、酸素が吸えなくなる。


毒海でない世界は、

そんな宇宙のようなところ。


毒のない世界画見えて、

毒のない世界で暮らそうという、


ごく当たり前の提案をする我が子を、


「ココが、安全基地なのよ」


と、笑顔で毒海を温泉のように扱って


大事に大事に連れ戻してしまう🧟🧟‍♂🧟‍♀


 

不幸にする親 人生を奪われる子供 (講談社+α文庫) [ ダン・ニューハース ]

 

「ここから出るなんてあり得ない危険だわ。


安全なこの猛毒の海を

向こう岸まで渡り切るの!


そうしたら、幸せになれるわ💚」


宇宙人しっぽ宇宙人からだ宇宙人からだ宇宙人からだ宇宙人からだ宇宙人からだ宇宙人からだ宇宙人からだ宇宙人あたま



これは私の仮説。

主観にすぎない。



でも、この路線で考えると、


ACでもなんでもない家庭では、


過干渉されても

「毒沼に近づくんじゃないよっ!」


と、口うるさく言われるだけ。



過保護なら、

毒沼に近寄らないよう、

手を引いて歩かれるだけ。



毒沼に漬けられることはない。




ということは、AC家庭では、

世間一般でいう過保護・過干渉とは

全く別の現象

起こっていることになる。




…連鎖の恐怖ゲッソリ



待って? ということは。



過干渉されず、

放任された三代目はどうなる??


「毒海の泳ぎ方マニュアル」

を渡されずにすんだわけだから、


自分で勝手にヨチヨチと

陸に歩いていって

1人で難を逃れる子どもと、


母の背後の陸地に気づかぬまま、


ここで暮らすんだろうと

勝手に毒の沼に入っていって、


2代目ループ

にハマる子どもと…


そんな風に分かれていくんだろうか?





すべて、主観の戯言である、と、

もう一度、繰り返す。


そして。


先日フーコさんからいただいた、

コメントの一文。


それならもう、

何も言わんでよろし(笑)



衣食住はきちんと整えた上で、

AC家庭では、本当に、

この一言に尽きるんじゃないか?






思考は終わってないので、

続きは、またいつかそのうちに。