先日もで取り上げさせていただいた
理由はいろいろあったと思うんです。
(中略)
でもいちばんの理由は、学校が雪乃のことを本当に温かく包んでくださったからだと思っているんです。
何度読んでも、
私も温かいものに包まれた気持ちになって、
何度も反芻したくなる。
通えるなら通いたい
通えなくて苦しい中も、
「先生がね、雪乃さんは本校が入学を認めた大切な生徒だから、卒業するまでずっと一緒ですよって仰ってくださったよ!」
雪乃さん自身は入ることのできなかった
三者面談でお母様の聞いてきてくれた言葉。
本当に、温かさを感じる
泣けてきそうになる。
卒業するまでずっと一緒
なんて、温かい言葉なんだろう…
通えるようにとアレコレあれこれ、
次々次々、手を変え品を変え、
試行錯誤して画策するわけでもなく、
先生が『体調がよかったら、午後からでも全然いいから、今日みたいにおいでよ!』って、軽い感じで言ってくれた
とか、
「雪乃さんもこの桜のように咲く日が来ると思うから、桜の木と一緒に僕はそれを楽しみにしていよう」
と認識させるような姿で理事長が、
三者面談なのに中に入れない雪乃さんに、
そんな風に声をかけてくれた、とか。
いつか、
そういう日が来るからと、
温かく包みこんで、
ちょこっとそういう声かけをして、
ただ温かく待っていてくれる。
寄り添う、って、
簡単に言われるけど、
ゾンビーず🧟🧟♀🧟♂にとっては、
本当に難しい。
きちんと聴けなければ、
そこに寄り添うなんて、できないのだから。
寄り添う、は、
なんでもいいなりになることじゃないし、
同調するのでもない、
迎合することでもない、
振り回されるのでもない、
コントロールされるのでもない、
ただ寄り添って、温かく待つ。
桜だって、無理に咲かせるわけじゃない。
冬に凍りつく屋外で咲かせることなんてできない。
たとえ、桜自身が咲きたいと強く思っても。
だけど? そして?
時期が来れば、桜は自ら自然に花開く
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