皆様こんばんは。

ココロです。


食べるものを常に考えて生きています。

その時に食べたい、

と思ったものを摂取することで、

せめて、自分に応えようと。


そして、最近気づいたことがあります。

私は行動できる人間である、ということ。


思えば、色んなことに自分で飛び込んだ人生。

自分の居場所は自分で見出す、

とか言っていたように、、。

そんなタイトルの記事もすでにありますね。『居場所を自分で見出す』皆様、こんばんは。ココロです気付けば年が明けておりました。本年もどうぞよろしくお願いいたします🎠今回は、自分の居場所についてです。「自分の居場所がない」と思っ…リンクameblo.jp


昔から、その精神で生きていたのだと思います。

居場所は、自分で見出していくものだと。

だから、飛び込んでいく必要があり、

それは、誰もが経験していくものであると。。


多くの苦悩を乗り越えるたびに、

仲間を助けたり、助けられたりするたびに、

人知れず涙を流し、夜が明けるたびに、


居場所の力を感じさせられ、

居場所の強度は上がっていく。


時には、大切な居場所を見失うけれど、

また新たな居場所を見つけるチャンス。


自分の人生のオールは、誰にも手渡さない。

逆に、手渡されても困るだろう?


行動して傷つくこともあるし、

逃げたくなることもあるし、

存在意義とは、と自分を見失うこともある。



過去の自分を掘り起こしてみる。



複数の習い事をして、

私は多くのコミュニティに所属していた。

【長く続けることが正義であり、恩返し】

だと思っていた私は、

ほとんどの習い事を10年以上続けた。

これは、継続力。


自分の地位を誰よりも気にするので、

青い炎を燃やし、ゴールまでを逆算し、

先輩の行動言動を基に、

静かに地位獲得を目指した。

何をどう頑張ったのか、

明記はしないが、

望んでいた地位は大体獲得した。


そして同時に、

自分に求められている要素を見極め、

存在意義を自分なりに確立させた。

これは、洞察力。


継続力と洞察力

私の生涯の心強い武器でありつつ、

面倒な事まで気づいてしまうような、

悲しい凶器にもなりうるだろう。


私は冷酷だが、言葉を選ぶことができる。

その場所で適切な行動を選ぶこともできる。

何も考えずに行動することもできる。


何も考えずに、自分を出せる領域。そう多くはない。

これは、これまで築き上げた信頼から成り立つ自由。

逆に言えば、素地がないと自由は選べない、と思っている。


さぁ、今の私は、どんな〇〇力を駆使するべきか、

あるいは、考えるのを辞める力を学ぶべきか、

よく考えて、動きます。