皆様こんばんは。
ココロです。
食べるものを常に考えて生きています。
その時に食べたい、
と思ったものを摂取することで、
せめて、自分に応えようと。
そして、最近気づいたことがあります。
私は行動できる人間である、ということ。
思えば、色んなことに自分で飛び込んだ人生。
自分の居場所は自分で見出す、
とか言っていたように、、。
そんなタイトルの記事もすでにありますね。
昔から、その精神で生きていたのだと思います。
居場所は、自分で見出していくものだと。
だから、飛び込んでいく必要があり、
それは、誰もが経験していくものであると。。
多くの苦悩を乗り越えるたびに、
仲間を助けたり、助けられたりするたびに、
人知れず涙を流し、夜が明けるたびに、
居場所の力を感じさせられ、
居場所の強度は上がっていく。
時には、大切な居場所を見失うけれど、
また新たな居場所を見つけるチャンス。
自分の人生のオールは、誰にも手渡さない。
逆に、手渡されても困るだろう?
行動して傷つくこともあるし、
逃げたくなることもあるし、
存在意義とは、と自分を見失うこともある。
過去の自分を掘り起こしてみる。
複数の習い事をして、
私は多くのコミュニティに所属していた。
【長く続けることが正義であり、恩返し】
だと思っていた私は、
ほとんどの習い事を10年以上続けた。
これは、継続力。
自分の地位を誰よりも気にするので、
青い炎を燃やし、ゴールまでを逆算し、
先輩の行動言動を基に、
静かに地位獲得を目指した。
何をどう頑張ったのか、
明記はしないが、
望んでいた地位は大体獲得した。
そして同時に、
自分に求められている要素を見極め、
存在意義を自分なりに確立させた。
これは、洞察力。
継続力と洞察力
私の生涯の心強い武器でありつつ、
面倒な事まで気づいてしまうような、
悲しい凶器にもなりうるだろう。
私は冷酷だが、言葉を選ぶことができる。
その場所で適切な行動を選ぶこともできる。
何も考えずに行動することもできる。
何も考えずに、自分を出せる領域。そう多くはない。
これは、これまで築き上げた信頼から成り立つ自由。
逆に言えば、素地がないと自由は選べない、と思っている。
さぁ、今の私は、どんな〇〇力を駆使するべきか、
あるいは、考えるのを辞める力を学ぶべきか、
よく考えて、動きます。
