プロフィール | 『頑張らない』を楽しむ♡ゆるみんブログ

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からの巣症候群や職場の無視(いじめ)で、一番底まで落ちて行って
ようやく今までずっと他者基準で生きてきたことに気づいたゆるみんは
今「頑張らない」を楽しむ毎日を過ごしています♡

プロフィール(自己紹介) ー 【からの巣症候群】だっていいじゃないか(*^-^)

 

こんにちは

東京都某市でケアマネをしています、

バツイチ・アラフィフ(S45)一人暮らしの 

” ゆるみん” です。 

結婚して独立した息子は、可愛い3歳のお孫くんと家族3人で都内某区に暮らしています。

 

今から12年前

「息子がやっと大学に入学だニコニコこれからは一緒に旅行でも行けるかな音譜」と喜んだ日から、

まだ半年も経っていませんでした…。 


息子は突然、帰って来なくなり、

私は【からの巣症候群】に急降下。

更に配属先での、職場の無視(いじめ)が…。

 

この出口の見えないトンネルのような精神崩壊状態が、私に気づかせてくれたことは…。

自分の感情を押しころして、本音を無視してはダメ。絶対にダメ。

何故なら、それは心のエネルギーを奪って、波動を低くしまうから…。

そして次々に、自分が望まない悲しくなる現実を招いてしまうから…。

 

気づけた時がラッキーアップアップアップ 

自分の大切な感情に寄り添って『自己解放の幸道(みち)』への扉を開いてみると、

今度は次々と私を引き上げてくれる人や、助けてくれる仲間との出会いが訪れてくれました。

今私は、心の健康もお金の健康も豊かにして、超ハッピーな仲間と夢を実現しています。

 

このブログに訪れてくださったあなたさまも、一緒にコミュニティを拡げていきませんかはてなマーク

誰にでも自己解放の幸道(みち)は必ずありますよ音譜

 

ご興味をもってくださったあなたさまへ、先ずは、ゆるみんの自己解放までの

ショートストーリーをお届けします。

 

あなたさまの自己解放のヒントになれたら嬉しいです。

 

 

お母さんになる

 

子どもの頃からの私の夢は ” お嫁さん ”そして” お母さん ” でした。

だからと言うこともありませんが、なりたい職業があって勉強や得意なことに打ち込むタイプではなかったですね。早く結婚して、早く子どもを産みたいってことがテーマの、こども時代だったと思います。

 

女の子はおしゃべりが上手で “おしゃまさん” なんて、よく聞きませんか?

末っ子の私は、家では「うるさい」って言われるほど、おしゃべりが賑やかだったようですが、人が多くなると、気おくれして上手く話せなくなるので苦手意識を感じていました。

 

そんな私の内心を知る人は一人もいません。泣

 

何故なら、家族には内弁慶と言われていましたし、先生に怒られたり、男の子を泣かしたこともあって…。そんな子が「おしゃべりが苦手なんです」言ったところで、「寝言は寝てから言いなさい」笑われるだけでしたから…。

 

今、『多様性』を大切にする時代。いいですね。

見えるモノだけで人の価値を決めつけない。固定観念でラベリングしない。いい時代です。

 

 

22歳の時、それまでアルバイトしていた会社で社員になった時に、出向先で彼と出会いました。

でもその時の私は、地元の先輩と同棲していました。

 

ここで私の脳内で、何が起こったと思いますか?

職場で何度か会った彼を見て、ある日

 

「あっ 私、この人と結婚するんだろうな…。」

 

まったく何の根拠もなく突然そう思ったのです。思った? 降りてきた??今でも謎です。

 

地元の先輩のこと、好きでした。でもその先輩は結婚はまだ先…。って考えていたから、同棲は解消したのです。実は今も時々通勤中に見かけたりするので、そんな日は夢の中で復縁したりしなかったり…(笑)。懐かしい思い出ですてへぺろ

 

 

一年もしないうちに出向先で出逢った彼と一緒に過ごす時間が増えて、やがて彼と暮らし始めました。結婚のカタチはどうでも良かったのです。早くこどもが欲しかった。でもなかなか授かることが出来なくて、一年ほどして諦めかけた頃にようやく妊娠できたのです。

 

もちろん彼と二人で喜び合いましたよラブラブ

 

でも、同じ時期に彼のお父さんがガン末期で他界。

私たちの結婚の事は後回しとなって、入籍をしたのは息子が産まれる2週間前の事でした。

 

それでも「ずっと一緒にいようね」っと約束して、最愛の息子が産まれ、

私は念願の ” お母さん ” になることが出来てとても嬉しかったのです。


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2年後、彼は帰って来なくなりました。ガーン

 

 

働くお母さん

 

3歳の息子くんとの2人暮らしが始まりました。

 

真っ先に考えるのは、これから先の暮らし、収入のことでした。

 

” 受験 ”っていうものを経験したことがなかった私でしたが、暮らしの為に必死に勉強して、

お金をもらいながら勉強して資格が取れる、東京都の職業訓練校の試験を受けました。

 

旧ヘルパー2級と1級の資格を取って卒業できた私は、老人ホームに就職。

タイミング良く退職者がでたので、程なくして常勤職員として収入は安定しました。

※もちろん、高収入ではございません。えー

 

私、おばあちゃんっ子だったのでね。お年寄りに囲まれることは全く抵抗はなかったんです。

むしろ落ち着くと言うか…。

 

そのホームでは、今でも忘れられない、100歳を迎えた女性のとても印象的な最期の朝を

経験させてもらいました。20代だった私は

 

「人は死に方は選べない。生きてきたように、死んでいく」

 

どこかで聞いたその言葉が、とても胸に沁みました。

 

その原点があったから20年以上介護の世界にいられてます。いろんな方々の人生を学ばせていただいています。だけども身体は正直に老いてますね泣き笑い


自分で言うのも何なのですが、よく働きました。というのも、程よく手を抜くのが下手で、

体力があるはずの20代の時からいつも疲れきっていましたね。

今は ” 適当 ” の良さ、大切さが身に染みて解ります。何と言っても ” 当に適っている ” わけですからね。

 


小学生の息子が学校で書いた母の日の贈りもの絵には

 

「お母さん、いつも お仕事ありがとう」

 

と書いてありました。息子が純粋な気持ちで書いてくれたことを嬉しく思いつつ

 

「息子からみて、私は ” 仕事をする人 ” なんだ…。」

 

と、淋しい気持ちになったのを覚えています。

 

本心は「淋しい…。」

息子の為に働く?暮らしの為に収入が必要?

なのかもしれないけど、私が夢みた ” お母さん ” はそうじゃない!

 

と、思っていました。思っていたけど、

 

「離婚をしたのは私なんだから、息子に背中を見せられる母でいないと」

 

自分に言い聞かせて、なんだか必死で重たいものを背負っていました。

 

 

毒母です

 

身体も神経もボロボロになっていました。とにかく

安心できる健康が欲しかった。泣

 

 

ケアマネの仕事がしたかった訳ではないけど、将来への保険のような気持ちで資格取得の勉強を始めました。

 

その頃にはやっと息子が大学に入学。ほぼ子育てもゴールみたいなものという気持ちで、

働くお母さんはほっとしました。

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が…。息子は帰って来なくなりました。ガーン

 

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1年と少しして成人式を迎えた後の、3月に帰ってきましたが、

息子が帰ってきた翌朝、私はバイクに後ろから追突され、空を舞いました。

” 事故に遭った時あるある ”ですけど…。空を舞っている間、すべてがスローモーションで見えました。

 

頭から右半身が地面に叩きつけらて、当然痛かったですよ。泣きたかった…。

それなのに私は、私をはねてビビッているその子を見て、「大丈夫だから行っていいよ」と言ったのです。

 

ヒドイ、ヒドイですよ。

今思うと私は、自分になんてヒドイ事をしたのか…。

「自分がされて嫌なことは人にしない」そう思って生きてきました。

それなのに「人には絶対にしない残酷な事を、自分には平気でしてしまう」

泣きたい程、痛くて辛いのに、それを無視して私は職場へ向かったのです。

 

今になって、あの頃の私は ” 罪悪感 ” を背負って生きていたことに気づきました。

それじゃ、息子も出て行きたくなりますよね。すべては自分をないがしろにした波動が招いた結果だったのですね。

 

 

いつのタイミングだったか、息子が言いました。

 

「もう、自由にさせて」

 

たくさんのお金は無いなかでも、息子も部活や趣味や塾通いなど、やりたいということはやってきて、どちらかと言えば自由主義だと思っていたのです。

 

でも、愛情が呪いのように、重たく彼の心を縛(しば)っていたのですね。

 

【からの巣症候群】は私にそれを気づかせてくれたもので、

息子の中には、しっかりと ” 自立心 ” が育っていた証だったのだと、数年後、息子が父親になり、愛情豊かに自分の息子と向き合っている姿をみて、確信しました。

 

長年、我が家の玄関に、息子が小学生の図工の授業で、” ゆめ ” をテーマに作った粘土細工を飾っていました。息子の夢は ” お父さん ” でした。

お父さんが「高い 高い」をして、息子を抱き上げている姿の作品です。

 

息子の夢のひとつが実現したので、今はもう飾っていませんが…。ニコニコ

 

 

新しいゆめ

 

 

介護の業務からケアマネの業務に変わり、異動先の部署で無視といういじめを受けました。

その次の異動先の部署では適応障害と診断されました。

 

 

やっと休むことを許された私ですが、心からは休まっていなかったです。

何故ならその頃の私は、常にいつもずっと ” 自分の間違い探し ” をしていたからです。

 

 

ここまで読み進めてくださった方の中には、もうお気づきの方もいるかもしれませんが、

私は自分を大切にしてこなかったのです。泣

大切にしてない自分が招いた負の現実に、更にがむしゃらに頑張って、そしてまた訪れる負の現実に、自分の間違い探しを繰り返してきたのです。

” 頑張る ” は " 頑なに張ってる ” わけですから、それは息が詰まりますよね。

 

 

「そんな私でも、今は自分が大好きです。💕」

 

いいえ、もっと正確に言えば、元々大好きだったのです。なのにそれを、許さない生き方をしてきたのです。

 

 

冒頭で綴りました。気づけた時がラッキーアップアップアップ まさに、そうなのです。

 

私は頭が硬いタイプで、理屈で考えて、自分の本音をねじ伏せていたことが多かったです。

今でもそういうところはあると思ってます。(※半世紀のクセを変えるには少々時間も必要ですので、絶賛 修行中の身でございます。笑)

 

そんな時こそ、自分の本音に寄り添います。自分を一番大切にして愛していると、

愛の人、波動の高い人と出逢います。そして、そんな自分がますます大好きになります。💕

 

とは言え半世紀も、自分をないがしろに生きてきた私でございます。

それをブログに綴ろうと思ったのは、反面教師的な意味合いもありまして…。てへぺろ

 

この「頑張らない」を楽しむ♡ゆるみんブログ を訪れてくださった、あなたさまも

 

気づけた時がラッキーアップアップアップ  

 

と、ますます波動をあげてくださったら嬉しいのです。音譜

 

この ” ブログ道 ” で、ワクワクする出逢いを拡げいくことが、” 新しいゆめ ” なのでございます。ラブラブ

 

 

最後までお読みくださって、ありがとうございました。ニコニコ