安芸高田市吉田町、恵比寿社の前で撮影。
今日知った、すごいこと!
私の実家から歩いて50歩(ついそこ)
のところに、恵比寿社があります。
小さな小さな社だけど、
ここが広島市内にある
胡子(えびす)神社の起源なのです。
実は私、この事実を
今日まで知らないでおりました。
胡子神社は広島でも有名な神社なんですよ。
青い字の部分は
胡子神社と胡講(えびすこう)について
書いています。
(お時間があれば 読んでくださいね)
広島の三大祭りの一つに
【胡子大祭】(えびすたいさい)があり、
それは、この胡子神社のお祭りです。
そのお祭りを
広島人は「えびす講」と呼びます。
400年以上前から、途絶えることなく
毎年11月に行われております。
原爆が落ちた3カ月後にも
瓦礫の中で開催されました。
胡子神社の御利益は「商売繁盛」で、
お祭りの間の参道は、
熊手を購入して持ち歩く人で、
埋め尽くされます。
えびす講のころから急に寒くなり、
広島に冬を告げるお祭りです。
生まれてから初めて、
この社に手を合わせました。
子供の頃から ず~~~~と、
この前を素通りしていたのに、
今日はなぜか、社(やしろ)の前で足が止まり、
内部をまじまじと眺めてみました。
板に書かれた「恵比寿社」の文字は
既に消えかかっています。
それでも内部に埃は積もっておらず、
榊(サカキ)はゆったり、
生き生きと活けられています。
どなたか、世話をしておられる方が
いらっしゃるのですね。
この社(やしろ)は、すごいところでした!!
傍に建てられた看板を見たら、
恵比寿社について書かれていました。
びっくりです~!
ここが、広島市内にある、
あの胡子神社の本家であり、
毛利元就の祖先である、
大江広元の像が祀られていたなんて。
御神体は毛利元就によって、古市に遷座、
さらに毛利輝元の広島城築城で、
現在地の広島市の胡町に
遷座されたというのが通説です。
看板に、それが現在なぜ当社にあるのか、
その経緯は不明である
と書いてあるということは・・・
ここに今も、
御神体があるということなのでしょうか?
その辺は、理解の範疇を越えるので、
とりあえず丁寧に拝ませていただきました。
さすが商売繁盛の神様、
ご利益があったのか、家に着くや否や
めちゃくちゃお店(実家)の掃除がしたくなり、
床をピカピカに磨きました。
お客様が増えて、商売繁盛になりますように。
では、またね

私の実家は
町の小さなハンコ屋さんです。
昨年、クラウドファンディングをいたしました。
そのときのことをまとめた本は こちらです ↓
只今、Kindleベストセラー1位を継続中
明るく 強く 美しく生きる女性へ





