「憂き世」も「浮き世」と考える



浮世絵




嫌いな人が いなくなりました


私は 今年の5月くらいまで 嫌いな人が何人かいました。

でも現在は 嫌いな人はいません。

えっ、どうして?
何が あったの?
と思われるでしょうね。



私の大学生時代の話です



先ず始めに、私が大学生だったころのことを書きます。

これには因果とかいう言葉が出てくるので、

そういう 抹香臭いのが嫌いな人は 受け入れられないかもしれません。

実は 私も学生の頃は 抹香臭いのが 大嫌いだったのです。

自分が 仏教大学の仏教学科に通っていたにも関わらずです。



願書を提出する時に、第一志望を国文学科で受験して、第二志望のところに 仏教学科と書いてしまいました。

そのせいか、届いた入学許可通知は 仏教学科になっていました。

きっと第一志望に合格するには 成績がイマイチだったのでしょうね。

それでも浪人するよりはマシと考えて仏教学科に通いました。



授業が 退屈で退屈で どうして因果だの 達磨だの カルマだの・・・・
こんな抹香臭いことばかり勉強しなくてはいけないの?

仏教学なんて 無くなってしまえば良いのに・・・
あ~ 辛気臭~(しんきくさ~)
(京都の人は、よく会話で 辛気くさ~と言っていました)
とぼやくような とても反抗的な大学生でした。

仏教学の授業で習ったことは ノートはとっていたものの
全然 記憶にのこらず、すべて右から左へ流れて行きました。



それから なんだかんだしているうちに、40年ちかい年月が流れました。

神様や仏様のことは 嫌いではなかったけど、
信心深いというような人間ではありませんでした。

どちらかというと 神様や仏様に叱られる様なことば~~~~~っかり しでかして来たような
オバカちゃんです。



或る日 突然 すべてが腑に落ちました!


さて、

今年の6月くらいのことです。

或る日、突然 ある事に気づいたのです。

今まで 胸の当たりにもやもやしていたことが ストーンとお腹に流れていきました。

これがきっと 腑に落ちるということなのですね。

ああっ・・・・

40年も前に習っていたこと、

因果とは こういうことだったのか!



親の因果が子に報いとか 言うけれど
親の因果は 親にしか報いないのです。
子の因果は 子に報いる。




自分の因果は、 自分にしか巡らないということです。


それが何か!?

ですよね~!

これは、人が何度も生まれ変わること=輪廻(りんね)を信じる事ができなければ
理解することができないお話です。

とりあえず、人は何度も何度も 100万回くらい生まれ変わって、魂を成長させる生き物だと
思ってください。

魂は成長し続けるけど、容器(肉体)はすぐに古くなるので、
次々に取り替えていくのです。
男であるときも 女であるときもあります。


↓ ここの部分 ちょっと ややこしいです。

あなたが この人嫌いだ!と思う人がいるとします。

その嫌いな人は あなたに、

あなたが何代か前の誰かさんだった時に、その嫌いな人の何代か前の人に
こんなことをしていたのだよと 教えてくれるために 
神様が使わしてくれているのです。


そう、これが因果が巡るということで、
人の因果が巡るのじゃなくて、
あなたの因果が回ってくるのです。

あなたが 何代か前で生きていた時、 その人に対して
同じ様な嫌なことをしていたと思われます。



因果を消す消しゴムは 
感謝しますという言葉。



今、嫌なことをされたということは、
あなたが 過去でこんな嫌なことしてたんだよ・・・
ということに 気づかせてもらえたということ。

だから、
その嫌いな相手に 感謝するのです。

「過去に私のやってた嫌なことに 気づかせてくれて ありがとう」と・・・

そうすると あなたの因果が一つ消えます。


そうしたら 同じ様な嫌なことは 起きなくなります。



私は それに気づいて、
今まで 大嫌い!!!と思っていた人に 感謝しました。

本人に向かって言うのは 嫌だから、天にむかって、
「私の因果を気づかせてくれて ありがとう!」と言いました。


そうしたら、いままではとっても嫌いという気持ちがいっぱいだったのに、
その気持ちが すぅ~っと消えて行ったのです。




私は 前の世の中で、とってもタカビーで 性格がキツくて、嫌みな人間だったのかもしれませんね。
だから今の世で 消さなくてはいけない因果をいっぱい持っていました。


もしかしたら、大学の時に 仏教大学の仏教学科に入学するはめになったのは
神様の思し召しだったのかもしれません。




この子は 因果だらけだなぁ。
このまま世に放つと 苦労をいっぱいしなくちゃいけない。
可哀想だから、仏教学でも学んで 悟りを開きなさい。
そうしたら 少しは楽になるかもしれないよ。

な~んて、 神様は考えてくれて、
仏教学科に入れてくれたのかもしれない。


あの時、もっと謙虚な気持ちで学んでいたら、それから先 因果の応報から少しは
免れていたかもしれませんね。

でも私は ず~と学科に対して不満を持っていたのです。
こんな所 私の来る所じゃない なんて・・ね。

なんてバカな女でしょうね。

大学に 一緒に入学した同級生たちがいました。
その頃は こんなお寺のどら息子達は 一体どんな生臭坊主になるんだろう?
みんな煩悩の固まりばっかり!
そう思っていたけど、4年間の学業を終えて、その間にいろいろな修行を積んで、
ほとんど皆 一人前のお坊さんになっていました。
もうみんな還暦なので、それぞれのお寺で立派な住職さんになっておられることでしょう。
その頃の同級生たち、
みんな素晴しいなと思います。



話をまとめますと

あなたに嫌なことをする人は 過去にあなたが その人に対してやっていたことを
教えてくれている。

だから、教えてくれた事に感謝する。
「感謝します」と言葉に出せば良い。

これって 一行にさらっと書いているけど、とても難しいことだよね。
でも「感謝します」と言えたとき、
奇跡が起こる。

どんな奇跡が起こるか・・・
それは自分でやってみてね。

そうしたら嫌な事(因果)は 消えて、
もう同じことは 起きない。



もしもあなたが このことを信じることができたら、
実際に 嫌な相手に 感謝してみてください。


信じることができなかったら、
いつか 信じることが出来る日がくれば良いなと思います。


口先だけでも 大丈夫!

あっ、「感謝します」って

心で思っていなくても 大丈夫。

とりあえず、言葉を口に出す事が 大切。

初めに言葉ありきです。

心がそう思ってから言おうとしたら、多分 一生かかっても言えない。


相手を好きになる必要もない。

好きになるのは とても とても とても・・・・
難しい事だからね。

嫌いだった相手を 好きになるのは
ぜぇ~~~~~~ったい 無理 無理!

だから
「感謝します」という言葉を 発するだけ。
これなら 何とかなるでしょう?


私の現状は それだけでも変わりました。

だから おかげさまで 今は嫌いな人はいません。


しかし、
もちろん、これから先も 次々に
あっ こんなこと言われた ・・・嫌だな・・・
ということは 起き続けるでしょう。


それに対しても いちいちカッカしないで、

「あ~ 過去世の私は こんなこともしてたんだね。 気づかせてくれて ありがとう。

気づかせてもらえたことに感謝します」

と言いながら、因果を消して行くのです。


そうしたら 来世で生まれ変わってくる時は、
もっとハッピーな人間になれそうです。

来世のことは 考えなくても良いにしても、
これから先の人生を 
気持ちよく暮らして行けそうです。


アビヤント~ドキドキ