COCOです。

 

小学3年の次男

 

少し前、学校へ行き渋りアピールをしていました

 

「お腹が痛い」

 

「行きたくない」

 

「学校へ行っても友達も気の合う友達もいない」

 

 

 

そして私はかなり気になっていました

 

私が心の中で思っていた事

 

 

「友達がいない?楽しくないんだ、どうしよう」

 

「中2の娘が不登校だから息子も行きたくなくなるんだ・・・」

 

 

娘が学校へ行かないことは受け入れた筈なのに

 

こんなにザワザワするのは

 

 

やっぱり私の中には

 

 

「学校へ行く方がいい」

 

 

 

 

の思い・・・残っていました 拭い切れていませんでした

 

なので 次男は被害者 娘は加害者 にしてモヤモヤしていたんです

 

 

「娘が学校へ行かないせいだ、だから次男まで」

 

「次男がかわいそう」

 

 

私が次男を被害者にしていたので

 

 

次男はその通り 「かわいそうな次男」 を演じていました

 

 

 

でも宇宙の法則では 被害者も加害者もないと言われます

 

そして しっかり整理してみました

 

 

まず 「学校は行くべき?行った方がいい?」

 

これは娘が不登校になってから何度も向き合いました

 

結論は 「行っても行かなくてもどっちでもいい」

 

学校は確かに勉強も勉強以外も学べる場所ではありますよね

 

でも学校へ行かなければ生きていけないのか?

 

 

 

と考えるとそうではないですよね

 

私のおじいちゃん(生きていれば105歳くらい)、

 

小学校しか卒業していませんが

 

おじいちゃんが始めた自営業は今でも数家族を支え続けています

 

 

 

娘にとって学校は 「自分はできない」 を感じる場所になっているようです

 

自己嫌悪を感じて エネルギーを奪われ ぐったりしてしまう

 

娘は今、自分と向き合う時間かも知れない

 

悩んで葛藤して自分と向き合う時間

 

そんな経験をすることを選んできた娘

 

次男を苦しめているわけでもありません

 

加害者ではありませんでした

 

 

 

 

そして次男は被害者なのか?

 

次男が学校へ行くも行かないも次男の問題のはず

 

次男が娘の不登校をどう捉えるかは次男の問題

 

 

 

そして きっと この娘と兄弟になる事を選んできたであろう次男

 

そう考えると次男は被害者ではありませんでした

 

 

 

私の意識 「次男はかわいそう」 は その通りの現実を

 

作り出していたようです

 

 

改めて

 

「次男は被害者ではなく 娘は加害者でもない」

 

「学校へはいっても行かなくてもどちらでもよい」

 

 

このような意識で過ごしていると

 

最近次男が後ろ向きな事を言わないことに気付きました

 

 

 

「友達と話が合わない」 と言っていましたが

 

最近ちょっと楽しそう