ボスの事。 | 愛犬ボスの交通事故

愛犬ボスの交通事故

事故に遭ってしまったボスの闘病記 / 事故後対応の進捗


ボスが天国へ旅立ってから数日経ちますが
私の心は止まったままで。

23日病院へ行き、24日朝の6時半過ぎに息を引き取りました。

腎臓病による貧血がひどく
もう一頭のダックスと血液が合えば輸血をとなっていた矢先でした。

ジメジメな天候が続き、何事にも敏感なボスが下痢をしました。
下痢の時は一切餌を拒否。
これは昔はからで
下痢が治まるとすぐ食べる子でした。

きっと本能で今食べたら身体がつらいだけとわかっていたのだと思います。

なので仙人のような精神で自分と向き合うボスなので下痢が治まればまた食べるだろうと私も軽く見てしまいました。

が、下痢が治まっても食べず。
あれっおかしい!
慌てて病院へ連れて行くことに。

その前のやりとりです。
下痢と平行して口臭も気になってたので
もしかしたら歯が痛いくて食べれないのかと思い
昨年無麻酔歯石除去をお願いした先生にお電話で聞いてみました。

受付けの方に尋ねると、
ちょっとお待ちください、先生と話したほうが良いと思いますと言われ
先生が替わって頂き
症状を伝えると、
いつも冷静沈着な女医さんですが、
いつも以上に冷静なトーンで

それは歯ではないです。時間の問題になるのですぐ受診してください。と。

心臓がドキッと一瞬止まるのが自分でわかるほどドキドキが止まらず。

子供達が夏休みでいるので
娘は留守番、下の子を自転車の後ろ、
ボスは前かごに乗せて出発しました。

ボスはサイクリングが好きなので
いつも通り外の空気を満喫しているかのように穏やかな表情で風を感じてました。

私はどこの道がどうだっけ?とわかってる道なのにフワフワパニック気味でしたが、
下の子の
どこ行くの?
ボス病院いくの?
などの質問攻撃に我にかえる感じで辿り着くことができました。

着くとすぐ血液検査。

結果、腎臓の数値がかなり危険。
プラス貧血が酷すぎました。

よくここまで我慢したなといった具合でした。

先生が言葉を選びながらお話下さっている事がよくわかりました。

途中、もう長くないなと察し、
私の方から

何をどうやっても助からない、または過酷な治療や長い入院をしても完治は無理でストレスを与えて苦しめる結果になるなら
延命は望みません。とお伝えしました。

それは苦渋の選択ですが
私は昔、先代の大型犬の最後の時、
寝たきりで半年過ごし、最後延命したばかりに苦しめる形になり、もがき苦しみの中旅立たせてしまいました。
私のエゴ、1日でも長く生きてほしいとの思いでかわいそうな事をしてしまいました。

それだけは避けたいとずっと心にあり、
犬の最後はエゴなしに現実と向き合う覚悟を決めてました。

ボスの交通事故の時、骨盤骨折の大手術の時は
ここで大変な思いしても
きっと乗り越えてまた歩けるようになる、
歩けるように頑張る!と決意の大手術でした。
当時7歳。
まだまだ生きれるという思いが強くありました。
でも今回は15歳。

正直いつどうなってもという覚悟はだいぶ前からありました。

昔ブログにも書きましたが
熟睡してるときは本当に死んでるのではないかとドキッとしてしまうことがしばしば。
目を凝らし、あっ呼吸してると安堵したものでした。
なので、覚悟はありましたが、
まさかまさかこんな急に。と気持ちがついて行かず。

ボスはきっと自分の事わかっているだろうと感じました。
先生は入院でも、自宅に帰ってもどちらでも良いとお話くださり、
私は迷わず連れて帰りますと。

輸液や吐き気どめ、点滴セットを全て持ち帰り自宅看護に。

おしっこでなくなったら24時間以内に。と宣告されていました。

でも、帰って一度夜輸液点滴し、

いつもの時間に夜最後のおしっこさせて
その時は出たのでひと安心。

深夜仕事が終わり主人帰宅。
子供達を寝かしつけリビングに戻りボスに付いてましたが、
君がそばでずっと見てたらボスは気を使って眠れないから
君も少し寝たほうが良い。
何かあったらすぐ起こすから。と言われ
確かにそうかもと思い寝室へ。

主人は2時半位まではリビングに居たと思います。
私が下の子のトイレでリビングに行った時はボスはベッドから降りた所に寝てました。
ボスをベッドに戻して再び寝室へ。

大丈夫かな。と気持ちもありつつ。

朝六時半、私は毎日定時にリビングに。
下の子と一緒に。
子供をトイレに行かせすぐ散歩が日課です。

リビングのドアを開けるとボスが移動して来てました。
目が合い、ボス!おはようと声をかけ、
少し元気になったかな?なんて思いながら子供のトイレ済ませて、
ボスは小脇に抱え、
もう一頭はリードに繋ぎお散歩の為外へ。

歩いてる途中、ボスの身体が脱力するのを手から感じました。
地面に降ろすとフーと空を仰ぎ。
もうすぐお別れと悟り。
すぐ抱き上げ家に。

寝てる娘と主人を起こしてもう最後だよと。
娘は大泣き。
主人は苦しまず君の手の中なのが良かった。と。
私は涙が出ない。
娘が泣き出してパニックの中、私が泣くわけいかないと心?頭がブレーキかけてるように冷静。自分でも怖いくらいに。

その後はリビングに戻り、ボスをベッドへ。
自分でもビックリな程
もう一頭のダックスにエサをあげて。
この落ち着きは何なんだろ。
泣きたいし、パニックになってもおかしくないのに。
毅然と普段の生活をしようと勝手に体が動く感覚。
ふと、私は
先代の大型犬、キャバリアを送り
2児の母な今は
知らず知らずに強くなってるのか?
泣きじゃくる娘の前で自分が強くならねばと言い聞かせてるのか?
一体私の心は今どうなっているのか。
正直誰かに教えてもらいたい程でした。

9時丁度に動物火葬の霊園へTEL。
火葬はいつが良いか聞かれ
本当はしばらく一緒にいたいが
この日から気温が急激に上がると天気予報。
かわいそうだし、亡骸があっては娘は泣いてばかりだろうし。と諸々考え
一番早い所で。とお願いし、その日11時に決定しました。

ボスの写真を用意してくださいと言われ慌てて探し。
赤ちゃん時代のボスの写真もあり。
あれから15年かぁとしみじみ考えたり。

あっと言う間に時が流れ遺骨となりボスが帰宅。

娘はじーっと見てました。

私は気になってた骨盤骨折の手術で入れたプレートを見ました。
チタンなので火葬しても残りますので。

しみじみと小さなボスの骨盤に留められてるプレートをみました。
すごい手術だったこと、ボスの身体に8年入ってたこと。
麻痺もなく、リハビリで歩けるようになったこと。
ここ数年は異物反応で傷口がグジュグジュでよく洗い乾かして
パットを洋服に貼りそれを繰り返す日々。
これはこれでかわいそうでした。

何だか色々な思いの中、プレートを見つめてました。

ただ一言、
ボスお疲れ様。頑張った。ありがとう。とその思いでした。

あの事故でボスがそのままだったなら
死んでしまってたなら私はもっともっとつらい日々を過ごしていたと思います。
が、沢山の方に支えられ、見守られ
15歳まで生きる事が出来たので本当に良かったとの気持ちと
応援いただきました皆様への感謝しかありません。
私一人だったら闘えなかったし、
どうなっていたかわかりません。

この場を借りてお礼申しあげます。

今ブログを書いてる今の今もまだ実感なく、ボーッとしてしまいますが
少しずつ整理し、前を向きたいと思います。

友人、知人、ネットで知りずっと見守ってくださいました皆様、本当にありがとうございました。
心から感謝致します。ありがとうございました。