今回は、大阪の堺まで足を伸ばしたので、「かん袋」さんにも寄ってみることに
堺の地名は、「摂津、和泉、河内の三国の境目に発達した集落」という意味とも言われているそうです
堺と言えば…近年世界遺産ともなった、古墳群ですが、「堺商人」という言葉もあったくらい、商人の町として知られています。戦国時代に日本で布教活動を行った南蛮人宣教師が、「東洋のベニス」と例えたお話は有名です。
そんな堺では、様々な伝統産業が生まれました。刃物等も有名ですよね和菓子もその一つです。
(堺の商家で生まれ、その生涯の大半を堺で過ごした、千家茶道の祖でもある)千利休が大成させた茶の湯文化の影響を受け、お茶請けとして供される和菓子づくりが行われてきました。前述したように、貿易都市であった堺では、砂糖など海外からの輸入が盛んだったこともあり、和菓子文化が発展したと考えられ、歴史ある名店、老舗の和菓子店が、現在も多数営業しているということです。
そう言えば、さくらんぼの大福について書いたフルーツ大福の「一心堂」さんも堺でしたね。
因みに、かん袋さんのお店の案内にも「茶道茗菓」と書いてありました。
室町時代以来の旧堺市街の一角に店舗を構える「かん袋」さんのお店はこちら。(目の前に提携駐車場があります)
戦災により江戸時代の建物は消失してしまったそうですが、くるみ餅のお味は今も変わることなくいただく事ができます。
かん袋さんは、鎌倉時代末期(西暦1329年)に和泉屋徳兵衛という方が、和泉屋という商号で御餅司の店を開いたのが始まりだそうです。その後、安土桃山時代に、豊臣秀吉の命により、「かん袋」が和泉屋の商号になったということですが、その経緯については下の「かん袋の由来」に書かれていました。
たまたまですが、先日のブログの伏見稲荷の「祢ざめ家」さんも秀吉からでした
メニューはシンプルに2種類
「くるみ餅」と「氷くるみ餅」
明治時代になり、製氷技術が輸入され、氷が簡単に作られるようになり、かき氷をかけて食べられるようになったのが、この「氷くるみ餅」だそうです。
当時から夏になると、涼感を求めて大勢のお客様が、お店に行列を作るようになったということですが、この日も沢山の方が「氷くるみ」を食べてはりました。
程よい大きさで、美味しそう
ふと、赤福氷を思い出してしまいました。間違いなく美味しいと思うけど、お時間がないので…
今日はやむなく「氷くるみ」は断念
明より入荷した農作物を利用して、和泉屋忠兵衛(五代目)が塩味で挽き合わし、茶菓子を作り出しましたということです。現在のくるみ餅となったのは、その後、ルソンから砂糖が輸入され、甘未が加えられてからのこと。
因みに、「くるみ餅」は、お餅をくるんで食べるところから名付けられているそうです。可愛いお名前ですね最初、ナッツの胡桃からきていると思ってました(笑)
せっかくお店まで来たので、3人前の壷入りに
私が伺った13時過ぎは、お店の外でも並んでいましたが、15~20分位で買ってお店を出ることができました
お店で頂く場合、お席の関係上もっと待つのかもしれませんが、私がお店を出る時には、お店の外には列がなかったので、意外と回転は速いのかもしれません。
お会計を済ませると、大きな札を渡され、待つことしばし。
(注文受けてから詰めてくれるみたいで、少し待ちました)
風情のある包みで、手土産にも喜ばれそうなので、
美味しかったらまた買いにこよーと、
食べたみたら…
美味しい
冷蔵庫で冷やして頂きましたが、
お餅が柔らかくて、モチモチしていて、この食感すごく好き
もしも、お餅が固くなってしまったら、電子レンジでチンして軟らかくできるそうです
たっぷりかかった餡は見た目と違ってそんなに甘過ぎることもなく、パクパクと食べ進られてしまい、「3人前も大丈夫かなぁ」という心配は完全無駄になり、結局2人であっという間に完食してしまいました(笑)
ご馳走様でした
並んでも、食べられて良かったです
本日は、最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
この後、私の好きな山根シェフが手掛けるお店に初ランチ楽しみです
次回もお付き合い、よろしくお願いいたします。