続きです。。



地震の次の日、まだ世間が混乱していた時。


私も焦って食料やガソリンを入れに行きました。


セルフで入れようとしたらあおくんが車の中で大泣き。


後ろでも行列で待っているから早く終わらせなきゃと慌てて給油してお家に帰ろうとしたら途中で車から


『カラカラカラカラ・・・』とエンジンを踏むたびに音が。

だんだん回転数も上がらなくなってきて近くにあったスタンドに駆け込みました。

見てもらってもすぐには原因が分からず、このまま乗って帰るのは危険だと言う事で置いてきました。

一週間後に車検だったんですが、急遽コチラのスタンドで点検・修理・車検をお願いする事にしました。



次の日スタンドから電話がきて

『あのー、昨日来る前にガソリン入れてきたって言ってましたよね?もしかして軽油いれませんでしたか?』

あー、あーー、あーーー入れたーーーー!!!


その時は何の違和感もなく入れてたけど確かに入れた記憶があるっ。

かなり焦ってて、こんな所でオッチョコチョイやっちゃったよー・泣

こんな時に車まで故障して厄年最悪だーと思ってたのにただオッチョコチョイなだけでした。。


もうエンジンすらかからなくなってるみたいで、入れてから走っちゃったので軽油が回っちゃってるからかなりの修理代がかかると言われ、さらに車検となるとどうしますかと。

買い換えた方がいい?


廃車か修理かで迷う。

と、そんな時救世主が現れました。

親友の旦那さんが車屋さんだったので相談すると一度見てくれることになって、結局洗浄して大丈夫だったみたいでついでに他の部分も点検してくれて車検まで通してくれる事になりました。

費用も車検代に毛は生えた程度で済みました。


もうすぐ車が戻ってきます。

本当に本当に感謝です。



車がない間も他の友達が買い物に行くけど足りないものはないか?と電話くれたり、また他の友達が送り迎えをしてくれたりと人の温かさを実感しました。








車がなく電車も動いていなかったのでひきこもっていました。

食料の買出しも一週間に一度パパのお休みの日にまとめて。

周りから見たら買い溜めに見えてたかも。。

こちらのスーパーもかなり品物がなくてすっからかんでした。

最近ではやっと揃ってきたけど今度はお水が・・・。

私の住む埼玉県では一部摂取制限が出されました。

我が家の管轄の浄水場ではまだ数値は下回っています。

毎日県のHPで検査結果をチェックしてるけど、日に日に数値が上がってきます。

乳児以外は問題ないといわれているけど、やっぱり小さい子がいる我が家は心配でたまりません。

お洗濯も全て室内干しでお布団も干せません。

雨が怖いです。





今回の震災で改めて思うこと。

当たり前のようにいる家族。

当たり前のように使っていた電気。

当たり前のように飲んでいた水道水。

当たり前のように温かいお風呂に入って温かいご飯を食べて温かいお布団で眠って。

どんなに幸せだった事か。




でもきっとまた日本は立ち上がる。

命がある私達は堂々と前を向いて大きな声で笑って元気にいこう!


がんばれ日本! がんばろう日本!!



リボンMASAMIリボン

いつもありがとうございます*
















みなさまお久しぶりデス。



地震以来なんとなく遠ざかっていたブログですが今日からまたのんびりマイペースに更新していきたいと思います。

ちょっぴり久しぶりなのでドキドキ・・・。

書きたい事は山ほどあるけど何から書けばいいのかモジモジ


地震後の生活について書こうかな。




あの悪夢の大地震以来皆様ご存知の通り関東地方では計画停電が始まりました。

初日から我が家のグループは一番遅い時間帯の6:20~の3時間コース。

いっきに全てのものが落ちるからガシャン!!と大きな音と共に真っ暗になります。

うん、もう本当に真っ暗。

ココちゃんはビビッてしがみつきにきて、なだめながらもキャンドルに灯りを灯す。。。

余震で倒れるといけないのでダイニングテーブルの真ん中にまとめて置き3時間その灯りの下でトランプをして過ごしました。



我が家はオール電化のなのでIHも使えなくなるしトイレも流せません。

今では大分慣れてきて停電の前にトイレを済ませ極力停電中は飲み物を飲まない。

お昼時の停電の時には始まる直前にご飯を用意し停電中に頂く。

寒くなるので毛布に包まる。

子供たちには停電中にとっておきを渡す。

などペースは掴めてきました。

ココちゃんには関西の親戚が送ってきてくれたLEDの小型懐中電灯を手に持たせれば安心しています。

でも相変わらず停電の前は来るとわかっていてもドキドキしちゃいます。





あとはお出掛けしようと思っていても行き先が停電の場合があるので難しいです。

信号が消えちゃうのも怖いです。

大きな交差点には警察の方がいらっしゃるけど小さい所にはいません。

一本道でもエリアによって時間が違うからココは点いてるけどこっからは点いてないと注意してみないと危ないです。




始まったばかりの頃、電車が運休だったので母は3つ先の駅まで毎日自転車で仕事に行っていました。

決して若くない母が寒い中1時間掛けて行きクタクタに立ち仕事してまた1時間掛けて帰ってきて家は停電で真っ暗。

そんな日々が続きました。


車で送り迎えしてあげたい気持ちが山々でしたが私にも事件が。。。




長くなったので一回切りますね。

お暇な方はつづきお付き合いくださいsei


リボンMASAMIリボン

いつもありがとうございます*
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大きな大きな地震がおきてしましました。

皆様大丈夫でしょうか?

報道でどんどん拡大されている被害を知り胸が痛みます。

被害にあわれた方 心よりお見舞い申し上げます。




私の住む埼玉県は震度5弱と立っているのもやっとという大きな揺れを感じました。

ちょうどお友達が我が家に遊びに来ていて

「なんか揺れてない?」

からどんどん大きく揺れ始めシャンデリアがありえないほど揺れ、ドアが開き、食器棚からガチャガチャと大きな音がして。。。



一人の友達が「どこか外に出られるようにドア開けて!!」
と指示してくれて、もう一人の友達が机の下に子供を非難させてくれて。

私は必死にテレビが倒れないように抑え。

足がガクガク震え地震で揺れているのか、自分が揺れているのかわからない状態でした。




今までこんなに怖い思いをしたのは初めてです。

ココちゃんは机の下で友達にしがみつきしばらく怯えていました。

あおくんは遊びたくて遊びたくて。

まだ地震の意味の分かっていない同じ年の子が2人きていたけど1歳の子達はみんな同じでした。

母親達は無我夢中で抱きかかえ。



みんながいたからなんとか平常心に戻れたけど、そこからは全然繋がらない携帯片手に家族の安否確認。

パパから災害伝言板がきてお台場にいて無事であることは確認できました。

家族ともなかなか連絡が取れなかったけどなんとかメールで連絡が取れました。



パパは高速道路が通行止めになり下道で帰宅するが大渋滞で全く動かないから何時に帰れるかわからない状態で、義母もたまたま東京駅にいて足止めをくらっているとの連絡があったのでパパに連絡して迎えに行ってもらいました。


その後も何度も緊急地震速報が入り余震も続き子供たちと、とてもとても不安な夜を過ごしました。

結局パパは翌朝6時過ぎに帰ってきて1時間ほど仮眠をとってまた仕事に行きました。

昨日の夜やっと家族全員が揃い本当にホッとしました。





幸い私の家族や親戚はみんな無事です。

仙台に住んでいるお友達とも連絡が取れ無事でした。


昨日はこちらでも色んな情報が飛び交いメールだけでも1日で80件ほど届きました。

ちょっとしたパニック状態になっているのかもしれませんが、それだけみんなが不安に思っているのだと思います。

今日も緊急地震速報が入るたびに怯えています。



今の所、こちらでは大きな被害の報告は出ていませんが被害地ではまだ救助を待っている方も沢山いらっしゃいます。

同じ時間を過ごしているのかと思うと胸が詰まります。

一刻も早く1つでも多くの命を。




こちらの地方では明日から輪番停電も始まるそうです。

とにかく節電に努め、みんなの少しの協力が大きな力になります。

今私達ができる事をするしかないのだと思います。




一日も早く日本に笑顔が戻りますように。。



*MASAMI*