アメリカで生活するようになってから、相手の「言葉の裏を読む」のをやめた。それからというもの、人とのコミュニケーションに思い悩むことが減って、昔に比べて楽になった。



アメリカにいると、コミュニケーションが結構シンプルだったりする。「言葉」が「言葉」の意味でしかないというか。みんな割と自分の言いたいことをはっきり言うし、「Yes」なら「Yes」、「No」なら「No」。


建前上はとか、言葉と言葉の行間を読むとか、本当はNoだけどYes風の対応とか、そういうややっこしいことがあまりない。

もちろん人間だから、なんでもかんでも思っていることをそのままいうわけではないけれど、日本に比べたら圧倒的にコミュニケーションがシンプルだと思う。


アメリカの文化は、人種や宗教をはじめ、それぞれ違った背景をもつ人が集まって成り立っているから、「言葉の機微を読む」とか「相手の表情から読み取る」というような、ある意味高度な日本人的コミュニケーションは成立しないからなんだろう。

共通する背景とか認識がないまま勝手に読み取り合ってたら、大変なことになるもんね。笑



そんな中で生活していたら、いちいち「あれってこういう意味だったのかな?」とか「ああはいっても、本当はこうなんだろう。」とか、相手の「言葉の裏を読む」ことをしなくなった。


そして、だんだん私自身も「言葉」を「言葉」としてだけ使うようになった。


「Yes」「No」「いる」「いらない」

「好き」「あんま好きじゃない」


シンプルに。


自分の思ったこと、言いたいこと、心の中にあることをシンプルに。


すると、自分が自分でいられるような感じがして、すごく楽になった。

「自分の心」と「自分の言葉」が一致しているって、とっても楽で心地よいということを知った。


あなたの言葉は、あなたの心と一致していますか?


「自分の心」と一致した言葉を意識的に選んでみると、少し楽になるかもしれません^^


私はたまたまアメリカ文化の中で生活することで、このことに気が付いたけれど、日本に戻ったとしても「私の心」と「私の言葉」が一致した私のままでいようと思っている。