震災で、大切な人を亡くされた方の話を聞くと
思い出すのよね
父との別れのできごと
45年前、父は、会社の慰安旅行先で倒れ、意識が戻らず2週間後くらいで亡くなり
そして、病院で付き添っていた母より先に家に帰ってきたのよね、父の遺体
母の留守中に私達の為に来てくれていた祖母は、3歳の弟の面倒と、社葬だった為 準備に来られた会社の方々の対応に追われていたんだと思う
父の死について何も言わず
ただ、父の遺体の前に兄と私を座らせたの
父に白装束を着せて、手を組ませたりとしてくれている納棺師の方が、私たち2人に父が死んでいることを教えてくれて。。。
だから早くしないと固くなって手が組めなくなるって
話しを聞いていて、頭は真っ白にはならなかったわ
むしろクリアだったように思うけど
ただ、心は何も感じなくなったの まったく何もね
そして、兄も私も泣くこともなかったのよ
一滴の涙さえ出なかったくらい
そう、心がなくなっちゃったみたいになったの この時
この後からは、ほとんど覚えてないしね
葬儀から2カ月後くらいに 私達は突然、一年ほどしか住んでいなかった横浜の家から 奈良に引っ越し
母の姉家族が住んでる近くに、手頃な物件が見つかったからなんだけど
広い庭付きの大きな家から、小さな公団の分譲住宅への引っ越し
応接セットやステレオやタンスやいろんなものが貰われて行って、最小限の荷物で来たはずが。。。
引っ越した家の中は、物で占領されてしまって〜〜
でもね、私は、この突然の引っ越しも、この落差もなんとも感じなかったの
それよりも、この団地の南の地面には、一軒に2畳程の花壇スペースがあって、私が自由に使わせてもらえてね
それが、私の何よりもの楽しみとなったのよね
まだ9歳だった私は、お小遣いをもらうたびに、その時の気分で惹きつけろられる花の苗を買って
その花壇に植えて 育て 眺める
そんな時間が好きだったなぁ
それに、ベランダで小鳥(文鳥)も飼い出して
小鳥と過ごす時間も好きだったのよね
当時、まわりの人たちの言葉も、好きだった音楽も、私の心は必要としなかった
ていうか、むしろ言葉も音楽も聴きたくなかったという方があってる
音楽を聴きたいと思ったのは、中学生になってからよね
父の死後、母は信号機のように不安定に心の状態が変わった
でも、何かあっても、必ずしばらくすると、何事もなかったかのように笑顔に戻っていたのよ
ただ普通を装っていただけかもしれない
だけど
私達が前に進むためには、毎日変わらない日々を重ねていると思えることも必要だったんだと思う
震災で、大変な体験をされた直後にでも、インタビューを受けながら気丈に振る舞う姿、笑顔すら見せてくれる方を見ると 当時の母と少し重なって見えることがあるのよね。。。
私は、大人になってから、
というか 親になってからかなぁ
自分の心を綺麗な円に戻さないといけないと思った時期もあったのよ
無くした部分を取り戻さないとと
けど
そんなことも、今はどうでもよくなった
べつにこのままでも
ほんとうにすべきこと
ほんとうにしたいこと をするのに 何も困らないと気づいたから
毎日に感謝です