『自由にしていい』という言葉は、無意識に突き放していたのか? | Over 50からの色々チャレンジ

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4人息子と元保護犬の詩音と暮らすシングル母。息子達の不登校、乳がん、鬱、摂食障害、二度の離婚等、アップダウン紆余曲折。100年人生折返しの50歳から、もっと面白く過ごすチャレンジ中。



植松努さんのブログ⬇︎
『普通という言葉の危険性』

これを読んで、長男(20)が中学不登校児から高校中退になった時の事をちょっと思い出した。


私は「普通」という言葉は使わなかったが、
「自由にして良い」「好きな事をすれば」と
長男に言っていた。
それに対して返ってきた言葉は
「何をしたら良いのか分からないのに、自由にして良いと言われたって無理。」
「砂漠の真ん中に立ってる様なもの。どっちへ向かったらいいのか分かんない。」だった。
突き放すつもりなんて毛頭無く、本人の意思を尊重していこうと思ってかけていた言葉が、逆に長男の不安や苛立ちを煽っていたようだった。

高校で初の試験期間だった元同級生から
「お前は(試験とか無くて)自由で良いよな」と言われたと言ってきた時も
「俺が自由?何をすれば良いのか、どうすれば良いのか、何の目印も見えない中で自由だと言われるのがどんなに不自由なのか、誰もわかんねーだろ!」と、苦しそうに吐き捨ててた。

中学で学校という『場』に違和感を感じ、
高校で“そこ”が居場所では無い事をはっきりと認識し、自ら離れた。社会へ出ると自分自身で決めたとはいえ、16歳で見える世界はまだまだ狭く、思いつく選択肢も少なかっただろうし、無鉄砲さや常識の枠を越えるような突飛な行動力を持ち合わせているわけでも無かった長男は、約半年間サナギの様に動かない時期を経て、原付免許を取得し自分でバイト先を見つけて社会人になっていった。

『好きな事』を『自由』に選んで良いけど、
その選択肢や思いつく事例を話し合う時間は必要な事だったのかもしれない。
ただ、親の価値観で「こんなのあるよ?あんなのもあるよ?どう?どれにする?どうするの?」と押しつけたり、結論を焦らせるのはダメ!絶対!
親の希望と子供本人の意見は、ほぼ合わないと思ってた方がいいかも⇦その方が気が楽だし。
あくまでも決定権は子供本人にある。その子が進む道であり。その子の人生だから。

まだ、もがいていた頃。深呼吸してたのかな。