ちょうど一週間前になりますが
台湾の姉弟のお客さまとフランスからのお客さまが同時にいらっしゃいました。
三人とも娘の友人。
台湾からのお客さまは金曜日に到着と聞いていたのに
木曜日の夕方・・・「今、◯◯ちゃんたち大阪から名古屋に向かっているって!」という
娘からの電話にびっくり仰天!
さあ、それから、お部屋を整えてお布団のカバーをかけたり
翌日の朝食の確認をしたり・・・と大慌て。
なんとか、無事にお迎えすることができホッとしたけれど
「しっかり連絡とってくださいな!」と娘には文句をちくちく。

もう一人のフランス人は偶然、台湾経由での日本旅行。
おかげで二人の台湾人と共通の話題もあって会話も弾んでいました。
土曜日はみんなで日間賀島にも出かけてタコを食べてきたそうです。






フランス人はフランス語と英語だけ。
台湾人の弟のほうは中国語と英語、お姉ちゃんは中国語と英語と日本語。
四か国語が飛び交う面白いひと時を過ごさせてもらいました。





おみやげには私の大好物のパイナップルケーキをたくさんいただき
今もティータイムに楽しんでいます。




名古屋台地の北の端、白壁の西に清水口という交差点があります。
名古屋人なら、ほぼ誰でも知っているコマーシャルで有名な「・・・堂」という
宝飾店があった所。

今は国道41号線が南北に走っていますが
江戸時代には清水口の交差点を下った坂の途中で
41号線を斜めに横切るように稲置街道という犬山に通じる道が通っていました。

そのちょうど41号線を横切る坂の西側、大曲と呼ばれたあたりに
かつて名古屋の三名水と呼ばれた「亀尾清水」という湧き水があったそうです。

この「亀尾清水」は『尾張名陽図会』によりますと
大須にある清寿院の「柳下水」と蒲焼町の風呂屋の井戸とともに
名古屋三名水としてあげられています。
そのなかでも「亀尾清水」は「特別の清泉」と記されているそうです。






さて、「亀尾清水」の名は
近くにある「七尾天神社(通称亀尾天満宮)」からきていると言われています。
基幹バスが走る表通りから一歩北に入ったところにある、こじんまりとした静かな神社です。





七尾天神(亀尾天満宮)の由緒書きによりますと

七尾天神社は、文亀年間(1501~4)に天神池に七つの尾を持った霊亀が
菅原道真の木像を背負って現れたことから始まったそうです。





写真の霊亀さんの七つの尾・・・わかるでしょうか?
この霊亀の背中に七回お水を掛けると願いが叶うそうですよ。
天神さまなので受験生やその親たちがたくさん訪れるようです。





私も7回お水をかけて願ってきました。





「亀尾清水」は『金鱗九十九之塵』にも
「古より名水にして、百日の日照にてもかはく事なし。
この水あるゆへに、このほとりの地名を志水と号す」と記載されているそうです。
志水は清水のことですね。

「亀尾清水」はもう枯れてしまって、道路か住居の地下に隠れてしまい
痕跡を見ることはできなくなってしまいましたが
つい先日まで名鉄瀬戸線「清水駅」の近くには江戸時代から続く大きな造り酒屋さんがあり
かつて、この地に良質な水が湧いていたことを忍ばせてくれます。

土地の地名は歴史そのもの・・・そんなことを実感させてくれる「亀尾清水」でした。




先日の夜、友人6人を招いて楽しいホームパーティーをした折り
一人の友人が「お箸がたくさん、お入り用だな」と思われたようで
花冷えの中、わざわざお箸をいくつか届けてくれました。





東区と北区のちょうど境目あたりに住んでいる友人の近所で
お箸を作っていらっしゃるお店のものです。

今では貴重な縞黒檀や紫檀が使われているとても品の良いお箸。
仕上げは塗料ではなく
身体に優しい蜜蜂の巣からできた「ミツロウ」を使っていらっしゃるそう。
ワンポイントのウサギもわざわざ彫ってから色がつけられているなど
どことなく温かさが感じられるお箸です。
お箸の製造所に、私もいつかお訪ねしてみたい気持ちになりました。





そして、友人の温かい心遣いに応えて
このお箸を使ってのホームパーティーを開く楽しみがまた一つ増えました。






私たち世代にはカルシウムが必要だからと友人が持ってきてくれた「カルシウム黒豆」
こちらはヨーグルト味で美味しく、いくらでも食べたくなりそうですが
一日分とうたってあるので食べ過ぎ注意ですね。





カルシウム不足になると骨粗しょう症になりやすいというのは、よく言われていることです。
骨粗しょう症は閉経後の女性や高齢の男性に多いとされていますが
若い人でも栄養不足や運動不足、ステロイド剤などの影響でなることがあるそうです。

生命の維持に必要な心臓や脳が正常に働くためには
血液中のカルシウムが常に一定量含まれていていることが必要ですが
万が一、食事でのカルシウム摂取量が不足したり
老化により骨をつくるホルモンが不足したりすると
不足分を骨から取り出して、血液中のカルシウム量を一定に保とうとする働きがおこります。
この状態が続くと
骨のカルシウム量がどんどん減り、ついには骨粗しょう症になるというわけです。


驚くことに日本人は、世界で最もカルシウムの摂取量が少ないということです。
その原因としては
日本の水は軟水でカルシウムの含有率が低いこと
土壌もカルシウムが少なく、そこで育つ植物にもカルシウムが多く含まれていないこと
伝統的な和食には乳製品をあまり使わないこと・・・があげられます。
吸収率の低い栄養素であることもそれを助長しています。

そのため、日本に住む人々はカルシウムを充分に摂る必要があるわけです。
カルシウムが足りないと骨粗しょう症以外にも
高血圧・動脈硬化・糖尿病・アルツハイマー・変形関節症などにも
かかりやすくなるといわれます。

また、カルシウムを摂る以外にも骨粗しょう症を防ぐには運動が大事だそうです。
運動をして骨に力が加わると骨に弱いマイナスの電気が発生し
カルシウムを呼び寄せるからです。
運動はスクワットのようなものが良いようですが、継続的な散歩などでもいいそうです。

カルシウムをたくさん摂って毎日スクワットをして骨粗しょう症を防ぎましょう。
友人が紹介してくれた「カルシウム黒豆」も
骨粗しょう症予防に一役かってくれるのではないかと期待しています。



名古屋の東、八事にほど近い知人のお宅で開かれたガーデンコンサート。





満開の桜が咲き誇る大きなお庭でのコンサートのはずだったのが
あいにくの雨で室内での開催となりました。





お庭の斜面を登っていくと川まである大きなお庭です。





会場になった知人のお宅は昭和初期に建てられた洋館。
室内もレトロで素敵です。





天井の四隅の換気口も木製の二重の窓もその時代の建築様式をそのまま残し
天井や壁を彩る照明器具もレトロな雰囲気のあるものばかりです。
大理石の暖炉や階段も昔の映画に出てきそう。





こんな室内で演奏されたのは

モーツァルトのオーボエ五重奏曲版(ピアノソナタハ長調K309)
ショパン 「英雄ポロネーズ」
リスト 「愛の夢」「カンパネラ」
バッハ 「プレリュード」
モーツァルト 「フィガロの結婚」より「もう飛ぶまいぞ」などなど・・・

雨に濡れたお庭をバックにしっとりとした豊かな時間が流れていきました。





コンサート終了後は主催者である知人が用意してくださった軽食やお菓子で
みなで歓談。

このガーデンチャリティーコンサートは
大震災など災害ボランティア団体への援助を続けている知人が
毎年お花見の時期に開いているものです。

今回はそれに加え
障害者団体への応援コンサートを続けている
これまたサロンつながりの音楽団体への寄付も・・・という
二重のチャリティーガーデンコンサートになりました。





そのため、このコンサートは主催者にたいする
手みやげや差し入れの代わりに
好意の寄付金を帰り際にお渡しするというスタイルをとっていらっしゃいます。

一個人でこういう活動をしていらっしゃることは、本当にすごいことだなと頭がさがります。







昨日は月一回の音楽サロン。

今回もたくさんのお料理とワインをいただきながら
素晴らしい演奏を聴かせていただきました。





今月、クラリネットとピアノのコンサートを控えている方や
来月ピアノのコンサートを控えている方
ピアノとバイオリンのコンサートを控えている方など・・・
もうすぐコンサートを控えていらっしゃる方々の演奏は真剣そのものです。
ここはちょっとしたリハーサル会場の役割もあるような。

集う方々もプロのピアニストやバイオリニスト、チェリスト、クラリネット奏者・・・
そしてアマチュアだけれど音楽をこよなく愛する方々など。

お食事の合間には音楽関係の情報交換にはじまり
若い方々などは恋愛問題、子供の話など
シニアの方々は今の時間をいかにして充実させるか・・・などなど
音楽とは関係のない話にも花が咲きます。
夜更けまで続く音楽サロン・・・音楽を通じての仲間の語らいも、また楽しからずや。



羊神社という不思議な名前の神社が名古屋の北区にあります。

この神社、いつもは静かですが12年ごとの羊年のお正月にはたいそう賑わうそうです。
今年も全国各地から観光バスもやってきて駐車場確保にも大変だったとか。





落ち着いた神社に参拝したくて、ぐずぐずしていたら、もう春になってしまいました。
車で15分ほどの所に住んでいるのに
つい最近まで羊神社も存在も知らず、訪れたこともなかったのです。


さて、羊神社とはどうしてこんな名前になったのでしょうか。





実は日本にはもう一つ羊神社があります。
群馬県吉井町にあり渡来系の羊氏族を祀っている神社だそうです。


そこの羊大夫という人が
稲妻のように走る家来とともに毎日奈良の都に通勤していたそうです。
すごいですね!新幹線より速い!リニア並み?

ところが羊大夫が家来の肩にはえている翼をいたずら心から抜いてしまったから大変!
家来は走ることができなくなってしまいました。
奈良の都では出勤してこなくなった羊大夫に謀反を疑い
大軍をさしむけて攻め滅ぼしてしまったのです。





後日、疑いがはれ丁寧に弔われたそうですが
いたずら心もほどほどにしないととんだことになるのですね!

その羊太夫が奈良の都への往来の途中、立ち寄った屋敷が名古屋市北区辻町にあり
その地に羊太夫が火の神を祀ったことから羊神社と呼ばれるようになったということです。





伝説は伝説としても
羊神社は延喜式の神名帳にも載っているので1000年以上の古い歴史のある神社です。

本殿は慶長18年(1613)年に再建されたという棟札が残っているそうです。





神社のある北区辻町は「ひつじ」から「ひ」をとって名付けたとも言われ
昔から、この辺りは火災が少なく羊神社は「火災除」の神さまとして崇敬されています。
太平洋戦争末期の名古屋大空襲の時にも焼失を免れたそうですよ。





確かに、神社の付近には古いお屋敷が数多く残っていました。




前回、記事にした名城公園の「おふけ池」があるあたりに
江戸時代、瀬戸山と呼ばれる山があり、そこに焼き物を作る窯が築かれていたそうです。
御深井窯です。
ここで焼かれた焼き物は御深井焼(おふけやき)と呼ばれていました。





尾張藩初代藩主・徳川義直が赤津村(今の瀬戸市)の陶工3名を呼んで
作陶させたのがはじまりと言われています。
初期の御深井焼には明の帰化人も関係したとか。
窯は尾張藩主のお庭焼きの窯として幕末まで存続したそうです。





御深井焼には、染め付け磁器や高麗写しなど様々な種類があったそうですが
なかでも、青みがかった透明感のあるグレーの御深井釉は
これぞ御深井焼と言えるものです。
釉薬だまりの透き通ったガラス質がとっても美しい名古屋の焼き物です。
写真の小皿は我が家の「御深井焼草紋小皿」


今日はお天気が悪くなるという予報でしたので
昨日、名古屋の桜の名所といわれる名城公園に行ってきました。
ス二ーカーを履いていざ出陣!





名城公園の桜と名古屋城の桜を同時に味わおうと
今回は地下鉄名城公園駅側からの桜見物です。





広場にある風車の周りには桜がいっぱい。
ブラウス一枚でも良いぐらいの暖かいお天気のせいもあり
平日にもかかわらず
たくさんの方々がお弁当を広げてお花見を楽しんでいらっしゃいました。





江戸時代の面影を残す「おふけ池」の周りは素晴らしい景色。










名古屋城はお城の北側か西側のお堀越しに見るの一番きれいだと思っています。
普通は地下鉄市役所駅側からの入場になりますが
そこからでは名古屋城の美しさの半分しか味わえないのではないでしょうか・・・
などと思いながら、公園を出て名古屋城を望めるお堀端に。





お堀越しに見る名古屋城はそれは美しく、周りの人々も感嘆の声をあげていましたが
残念ながら写真は暗く写ってしまい、がっくり・・・





大きな鯉や水鳥が遊ぶ気持ちの良いお堀端を西に向かうと西北隅櫓があります。
重要文化財で清洲櫓とも言われているこの櫓は
これだけでもちょっとした天守閣になりそうな大きさです。





西北隅櫓を曲がってウェスティンナゴヤキャッスル方面に歩いていきます。





かつて御用水が流れ込んでいた名古屋城のお堀の桜は
春霞にけむるような一幅の絵画をみているような素晴らしさです。





名古屋城天守閣が見えてきました。
この名古屋城天守閣正面にウェスティンナゴヤキャッスルホテルがあります。





金のシャチホコが太陽に照らされ美しく光り輝いています。





江戸時代の金鯱は
慶長小判で17,975両分(金量約270キログラム)の金が使用されたと伝えられていますが
第二次世界大戦で焼け落ち、現在は一対で88キログラムが使われているそうです。
それでも、そんなにたくさんの金が雨ざらしになっているなんて・・・びっくりです。








お堀の水に反射して、あたり一面は柔らかい春景色に。





ここから坂を少し上がって右手に能楽堂を見ながら東に向かうと名古屋城正門にでます。





空堀にしなだれ落ちる桜も美しい。
今回はお城には入らず、古木の桜を見ながら市役所駅方面へ出て帰ってきました。





名古屋城正門や東門から入ると、中堀も本丸の内堀も
満々と水をたたえたお堀ではなく、鹿も住んでいる空堀になります。
お城の規模に匹敵する深い空堀も、それはそれでスケール感か感じられ良いのですが
やっぱり水があったほうが良いですね!





お堀の水面に映える美しいお城の姿が楽しめるよう
名城公園側からお城に入る入り口を作ってもらえないかな・・・と真剣に思ってしまいます。

それにしても今年も良い桜見物ができました。
のんびりとお花見ができる平和な世の中に感謝です。




名古屋の桜の隠れ名所と言われる御用水跡街園。





これでもか・・・というぐらいの桜が川面いっぱいにせり出し、覆っているさまは圧巻!
川幅が狭いことも相まって桜一色の世界です。





スマホでの写真であり逆光のせいもあって、
桜色の世界の素晴らしさがうまく伝えられないのが
なんとも、もどかしくて残念で仕方ありません。





御用水というのは名古屋城のお堀の水不足のため
江戸時代初期、寛文3年(1663年)に庄内川から導水して開かれた用水です。





お堀まで行った水はお堀の水源としてだけでなく
お堀の西から分水された「巾下水道」で名古屋城下西部の人々の飲み水としても
使われていたそうです。
名古屋にも江戸時代初期から水道があったのですね。





明治に入り、新たな水運の必要性のため
1877年(明治10年)に御用水と並行する形で新しい川が開削され
工事を担当した愛知県技師の黒川治愿に因み「黒川」と名付けられました。
写真の川は黒川です。





御用水や黒川の川沿いには、きれいな水を利用して
染物業が増え、名古屋友禅をはじめとした名古屋一の染物工業地域になったそうです。
御用水が無くなった今でも、そのなごりの染物工場が残っていて
春、桜の季節には友禅流しが行われています。





その後、都市化などの要因により水質がどんどん悪化した御用水は
ついに埋め立てられることになり、昭和49年御用水跡街園として生まれ変わりました。





かつての御用水の両側には水質確保のためにか松並木があったそうですが
今はほとんどなく、昔の面影を見ることはできません。
そのかわり、戦後、地元の方々によって黒川に植えられはじめた桜が
今では600本以上にもなり、素晴らしい水辺の景色を作ってくれています。


桜の隠れ名所。
名古屋近郊のかた、是非お出かけください。