名古屋を愛する有志の毎月の例会。
8月は尾張藩7代藩主・徳川宗春についてでした。
お話してくださったのは各務原の高家寺のご住職北川宥智さん。
最近、『徳川宗春~江戸を超えた先見力』という本も出版されたんです。
文化センターなどさまざまな所で
誤解されたまま定着してしまった宗春のイメージを払拭すべく
熱弁をふるっていらっしゃいます。
今回も宗春への熱い想いにあふれるお話をしてくださいました。





さて、巷で定着している宗春像は
8代将軍吉宗と対立し、派手な衣装を着て花街で遊んだりの放蕩三昧・・・
あげくに尾張藩の経済を疲弊させ蟄居謹慎・・・

ドラマでも8代将軍吉宗に対して悪役として描かれることが多いですね。
「暴れん坊将軍」では特にそのようだそうですね。
宗春役が中尾彬さんだそうですもの・・・イメージからして・・・

さて、北川ご住職はそれらの一つ一つをさまざまな史料などを用いて解いていかれました。

質素倹約の幕府に対して規制緩和娯楽奨励の宗春は幕府に評判が悪かったけれど
吉宗とは対立したり仲が悪くはなかったこと。
尾張藩では「希代の名君」と言われるほど、とても評判が良かったこと。
罰するのではなく罪を起こさない国づくりを目指し
女性の保護や犯罪のない街づくりを行ったこと。
形式より中身を大切にし、法律や規制は少ないほうが良いとしたこと。
身分を超える公平主義に徹し庶民の自由を守ったこと・・・などなど。
これらの考えを宗春は『温知政要』という本にまとめたそうです。

また、当時、幕府だけが公認できた遊郭や芝居小屋を名古屋の地で公認し
その結果、吉宗の緊縮令で出番を失った江戸・上方の役者や芸人が集まり
名古屋の街は「京が興ざめした」といわれるほどの賑わいになったそうです。
「芸どころ名古屋」はこの時花開いたのです。

時の権力に流されるのではなく
御三家筆頭でありながら幕府の政策に異を唱えた宗春は時代の異端ではあるでしょう。
でも、自ら不利になろうとも人としての道を進み
身分制度の厳しい時代にありながら率先して公平主義に向かった藩主・宗春。
希代の大人物の一人であったことは間違いないのではないかと思います。
人間として大きな魅力を感じました。
名古屋人としてこれから少し勉強してみようと思っています。





その後の懇親会でも、皆さん美味しいお料理に舌鼓をうちながら
宗春について喧々諤々・・・大いに盛り上がった一夜でした。





今日の懇親会にあわせて料亭のご主人が白川郷まで出かけて行って
ヤマメとニジマスを釣ってきてくださいました。
おかげで美味しい唐揚げまでいただくことができました。
ごちそうさまでした!