貞奴と桃介に想いを馳せながら二葉館内を巡ります。

この建物は1920年頃建造の赤瓦大屋根の2階建ての木造及び鉄筋コンクリート造り。
「あめりか屋」という建築会社が造ったそうです。

素晴らしいステンドグラスがあちこちに使われていて
この邸宅をより華麗に演出しています。





上のステンドグラスの窓は玄関脇にあり、外から見るとこのように。
外壁の重厚さに負けない豪華さです。





大広間のステンドグラス。





外から見ると。





その他にも











照明も個性にあふれ素敵です。








20年ぐらい前、有り難いご縁をいただき、移築前の二葉御殿に招かれ行ったことがあります。








その時、一番印象的だったのは、ソファーが弓なりに置かれたこの馬蹄形の空間。
とても良く覚えています。
でも、なんだか少し違和感が・・・そうなんです。
私が知っているこの空間はもっと奥行きがあったのです。





おかしいな!って思っていると壁面にかかっていた復元までの説明書きで謎が解けました。
私が行ったお屋敷は創建時から増改築されたものでした。
創建時にはここにあるような奥行きの浅い空間だったようです。
訪れた記念にと、このソファに座って写真を撮ったのですが
とても優雅な気分に浸れたことを思い出し、ご縁をくださった方にあらためて感謝です。


和室に通じる廊下。





お料理屋さんからの仕出しのお食事をいただいたのは
このお座敷だったような・・・





床の間の棚の模様が一緒なので、やっぱりそうですね。








夜に伺ったのでそう感じたのか
今現在のようなきらびやかな建物ではなく年月がたった渋いお屋敷だったと記憶しています。
創建時は現在の「二葉館」のような絢爛豪華な邸宅だったのでしょうが
渋いお屋敷も、そこに住んでいた人の息づかいが感じられるようで
五感を通じていろいろ想像でき、なかなか良いものでした。


当時の調度品などが展示されていました。
床の間には貞奴の三味線も。





豪華な火鉢。





愛用の食器やかんざし。





和室の廊下の外に蔵がありました。
その蔵の前にある石は道標!「是より右江戸道」と記された「主税町の道標」
1610年名古屋城築城以前
現在の市政資料館当たりに建てられていた道標だそうです。





二階の旧支那室や寝室、書斎は郷土ゆかりの文学者
坪内逍遥、城山三郎、小谷剛、江夏美好などの資料も展示されています。














名古屋城から徳川園にいたる「文化のみち」は
江戸時代には中級、下級武士の屋敷が連なっていた地区であり
明治から昭和初期には
トヨタをはじめとして様々な企業家、文化人たちが集まって住んでいた地域です。
ここ「二葉館」は「文化のみち」の中心的拠点としての役目も担っている施設。
ここを拠点としてまた、たくさんの人々が集うようになり文化の花が咲くといいですね。