「文化のみち」白壁地区にある「橦木館」に行った日、「二葉館」にも行ってきました。





「二葉館」は
「日本の女優第1号」川上貞奴が「電力王」福沢桃介と暮らした二葉御殿を復元したものです。
大正ロマン薫る素晴らしい和洋瀬折衷のお屋敷!





元々は現在の位置より少し北にいった熱田台地北端の東区東二葉町にあったのですが
名古屋市が譲り受け平成17年現在地に移築復元されました。





川上貞奴は伊藤博文の愛妾とも言われるほど売れっ子だった芸妓時代
慶応の学生だった岩崎(福沢)桃介と出会い相思相愛の間柄に。





しかし桃介は福沢諭吉の次女・房の娘婿になり
貞奴もまた、オッペケペー節で名を馳せた川上音二郎の妻となりました。

音次郎と共に欧米に渡った貞奴は
その美貌と欧米の人々の日本文化への憧れで
「マダム貞奴」としてまたたくまに人気を博したと言います。
ワシントンでは大統領に会い、ロンドンではヴィクトリア女王にも謁見したそうです。


ドイツ人画家ミュッラーが1900年頃に描いたポスター





唯一現存する貞奴の舞台衣装





パリの万国博覧会では貞奴の美しさと華麗な演技はヨーロッパの人々を虜に!
なんと、あのピカソまでもが貞奴を描いたとか・・・








ほかにも、彫刻家ロダンからは彫刻のモデルにと申し出があったが断ったとか・・・
ドビュッシーは貞奴の琴の演奏を聞き、交響詩「海」に取り入れたとか・・・
プッチーニやパウル・クレーなどからも絶賛の嵐だったとか・・・
ゲランからは「ヤッコ」という香水も発売されたんですって!

ちょうどジャポニズムブームの最中ということもあったのでしょうが
それにしても凄いです!!


かたや桃介はその間、株で利益をあげ実業家に。





木曽川の水利権を獲得し、岐阜県八百津にダムを築いたのを手初めに
1920年には
大同電力(戦時統合で関西配電。現・関西電力)と東邦電力(現・中部電力)を設立。
「日本の電力王」とまで言われるようになりました。
1922年には東邦瓦斯(現・東邦ガス)を設立。
ほかにも愛知電気鉄道(現・名古屋鉄道)の経営に携わったほか
大同特殊鋼などの企業を次々に設立し、「名古屋発展の父」と呼ばれるようになりました。

長野県木曽郡南木曽町読書(よみかき)にある読書発電所には
「桃介橋」と呼ばれる工事用に架けられた橋が残っているそうです。
1994年には発電所とともに国の重要文化財に指定されたそうですよ。
機会があれば一度行ってみよう!





さて、貞奴の夫、音次郎が1911年に亡くなった後
1920年頃から貞奴と桃介はここ名古屋の東二葉町で同居を始めました。
「二葉御殿」と呼ばれた、この邸宅には
日夜、政財界など各方面の著名人が集い華やかな社交の場となっていたそうです。





サーチライトで煌煌と照らし出された赤い瓦の邸宅、電気式の噴水・・・
まばゆいばかりの光景は「御殿」と呼ぶにふさわしい豪華さだったのでしょう。
「二葉館」の中にも当時の巨大な配電盤が残されているのですが
実業家、桃介のこと、二葉御殿は案外、
電気をアピール、セールスするためのものでもあったかもしれないなって思ってしまいます。





この優雅な螺旋階段から貞奴が降りてくる光景を想像するに
さぞかし華やかな姿だったことでしょう。

招かれた中部政財界の方々との語らいのパーティー。
美男美女で大実業家と女優の日常ははるか離れた東京にも聞こえていたことでしょう。
本妻・房さんの胸中を思うと
ここが華麗で優雅さに満ちあふれているだけに、なんとも切ない・・・
どんな人生を送られたのでしょうか。
桃介さん、亡くなる数年前には本宅にお帰りになったそうですが・・・