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物の見方 つづき


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物の見方について、また感じたことがあるので書いてみます。


先日地元で花火大会が開催されたので、久しぶりに見て来ました。

正直こんなにしょぼかったっけ…って思ってしまうほどたいした事なかった。

確かに不景気だからしょうがないかと思うけど、恐らく昔と比べてそれほど変わった訳ではないと思う。


花火自体は変わっていないけれど、自分自身が変わったから感じ方が違うのかな。

子供の頃と比べて自分自身が成長して花火自体に凄みを感じなくなったから?

他にもっとすごい花火を見てきたから?


そういえば昔は花火大会は防波堤に腰掛けて、辛口イカフライとカルピスソーダを飲みながら見たっけ。

夜の海の全てを飲み込んでしまいそうな恐さと、花火の光が乱反射して灯った明かりがきれいだったりしたな。

またお菓子も美味しかったし。

今やその防波堤は埋立られて、海までの距離が遠くなってしまった。


花火自体の印象だけでなく、様々な要素が変わってしまい物の見え方が変わってしまったのだと思う。

俺も少年の頃のようなピュアハートがなくなってしまったとか。

次からは辛口イカフライ買ってから花火大会に行かないとな(笑)


写真はその時撮ったものではなく、プーケットで年越ししたときのもの。

花火やら爆竹やら燈篭やらが乱れ飛んで激しい年越しでした。

こんな時でないと花火の写真って撮ってなかったんだな。


まぁ本当に撮ろうと思ったら三脚持って行かないと。

花火大会に三脚持って行くのもねぇ。

霜が降りた紅葉071117


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2年前紅葉の写真を撮りに昇仙峡まで行きました。

紅葉の写真はたいした写真は撮れなかったんだけど、その時キャンプ場でテントを張って、朝外に出たら落ち葉が風で一箇所に固められ、そこに霜が降りて綺麗だったので載せてみました。


前の晩は寒く11月なのにもうこんなに冷えるんだなと感じながら、牡蠣鍋をやり、朝はアサリのバター炒めと放蕩も作って食ったっけ。

最近キャンプしてないから、暖かいうちにまた行きたいな。

物の見方


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昔タイトルが「混凝土に咲く花のように」という名のブログをやっていたけど、「混凝土ってどんな土?」と聞かれたことがあった。

土というと植物が育ちそうなイメージがあるけど、実際は混凝土と書いてコンクリートと読むみたい。

まさに俺が狙っていたとおりの質問をしてくれてほくそ笑んだものでした。


タイトルを「コンクリートに咲く花のように」にしたら、なんか雑草魂とか歌詞にありそうなありふれた台詞で面白みがない。

ところが混凝土と漢字で書くと一見何のことか良く分からなくなる。

混ぜて固まった土か、どんな土だろうと想像する要素が生まれる。

そして花というと、公園や花畑に咲いている無数の花を頭の中に思い浮かべる。


それから実はコンクリートのことなんだよと種明かしをすると、その花畑から花がなくなり、街角の片隅でひっそりと咲いている一輪の花をイメージするようになる。

なんとなくそのギャップが面白いなと思い、内容とはほとんど関係なくそのようなタイトルを付けてみました。



物の見方って不思議とその人の経験から、よくあるパターンを想像して結果を導き出すのだと思う。

例えば10個中9個は想像が付くものだとしても、1個は想像付かないものかもしれない。

その1個を間違えたまま理解して通り過ぎることが日常的に多々あるはず。

正解があるなしのものでなくても、自分自身の物の見方や行動パターンも凝り固まってきて他の見方ができなくなってくる。


最近チェンジという合言葉が流行っているけど、多くの人が様々な角度から物事を見ればある程度のものは見えてくるのだと思う。

ところが個人が自分自身について見るとなかなか見えてこない。

「チェンジ!」と声高々に変革を訴えるほどの変える価値があるものって、表面に見えているものではなく、よく見えない部分が重要なんだろうなと、昨日夢で見た友人の言葉で気づかされました。

夢なんてほとんど見ないのにたまには変な夢も見るもんだね。


ちなみに写真はカンボジアのアンコール遺跡群のタプロームにある樹木。

コンクリートでも花でもないかもしれないけれど、自然の圧倒的なパワーはすごいね。