気仙沼せんべい
「こうすけさん、よしたかさん、実はお願いがあるのですが」
遡ること1年半。ハンガリーブタペシュト近郊トルクバーリントにある学校で1週間の滞在を終え、いよいよ明日出発という時のことです。
(ハンガリーでの一週間)
「私たちは日本が大好きです。そして今回起こった大震災はほんとうに残念に思い、私たちも何か日本の被災地の皆様にしたいと思っています。こうして出会えたのも何かの縁です。協力してもらえませんか」
1週間、ほんとうにお世話になったイロナ先生から最後の提案。
断る理由などありません。
こ「イロナ先生、ありがとうございます。よろこんでお引き受けいたします。」
イ「よかったわ。私たちは、日本の気仙沼に向けて、義援金と、メッセージを用意しています。それをでは2人が無事帰国したら届けてください。だから無事に帰らなくちゃだめよ!」
こ「わかりました!では1年後、無事帰国した際はお届けしますね!!」
そんなやり取りをして名残惜しみながら離れたハンガリー。
1年後、無事帰国。
そして約束通り、気仙沼へ。
しかし1つ問題が。
僕たちは気仙沼に繋がりがなかったのです。
どうしたものかと思っていると、気の置けない友人のひとり、ひろきから
「おれ、気仙沼の唐桑につながりあるよ。よかったらつなげようか?」
と素敵な提案が。
ぜひ!と即答したが早いかひろきは即唐桑で活動されている「からくわ丸」のリーダー、たくまくんに連絡をいれてくれて、その後すぐ、たくまくんから
「やりましょう!」
のレスポンスが。
んーワンダフル。
そして帰国から1年後、遂にハンガリーの想いが気仙沼へ。
ハンガリーからの想いを伝えた我々ですが、ぜひともここでもCoCの活動を実施したい!とおもい、
世界の子どもを一本の糸で繋げるプロジェクト@唐桑
実施しました:)
旅の話をシェアし
そして世界の糸と繋がる
ハンガリー×気仙沼の交流は大成功!
みなさん、ほんとうによろこんでくれました。
校長「しかし、なんでハンガリーの方々は私たち気仙沼へメッセージをくれたのですか。気仙沼はそこまで世界へ名前が知られていないと思うのですか。」
こ「ハンガリー語で『ありがとう』は『köszönöm szépen』と言うのです。」
校長「はぁ。クスヌムセー..ん?」
こ「日本人にはなかなか覚えにくいですし、発音しにくいですよね。でも、このköszönöm szépen、ある言葉とすごく発音が似ていて、それを早く言うとköszönöm szépenときこえるのです。それが『気仙沼せんべい』。気仙沼せんべいと早く言うと、クスヌムセープンときこえる。それをいままでずーっと使わせてもらっていて、気仙沼に対して、すごく親近感がわいていたことと、いつも使わせていただいている感謝を込めてぜひ気仙沼へ想いを伝えたいとおっしゃってくれたのです!」
校長「ほーぅ。気仙沼せんべい。はははこれは面白い。なんと嬉しい繋がりかね!ありがとうね!
私は、震災から2年が経って、感じたことがあります。確かに、今回の震災で失ったものはほんとうに多い。たくさんの人が亡くなり、今も大きな爪痕が残っている。しかし、この震災によって私たちにもたらされたものもまたたくさんある。この出会いもその1つです。震災がなかったらこのような素敵な出会いはなかった。こんな過疎の地域が世界とつながれるなんて夢のまた夢なのです。だから、震災後、関わってくれた全ての人に心から感謝したい。君たちも本当にありがとうね。」
今回の滞在で一番印象的な言葉です。
これからも自分たちにできること、精一杯やっていきたい。
さて、こんなにも素敵な繋がりを作ってくれた「からくわ丸」のみなさま、本当に忙しい中、ありがとうございました!これからもぜひよろしくお願いします!一緒にあの企画、進めていきましょう!!