台湾から帰ってすぐ奈良にもいきました

 

今回は奈良の最初の都があった三輪周辺にいってきました

 

 

 

多神社

 

とても重要な神社です

 

 
天照大神の大(オオ)というのは多(オオ)氏のことでもあります。
 
 
 
この日は黄砂とか花粉がひどく、灰色の空だったのですが、活性化したら晴れました
 
 
 
藤原京の跡地。
 
小さな鴨神社がありました。
 

 

奈良には鴨の神社が多数あります。

 

藤原京の跡地の真ん中にあるということからも鴨氏の重要性が窺い知れますね。

 

ここも活性化したら少し晴れました
 

 

藤が咲いてました

 

 

 

神武天皇陵でも活性化

 

 

 

磐余(いわれ)は古代の王族の居住地で、見晴らしの良い高台にあります

 

 

 

鳥見山の等彌(とみ)神社は神武天皇が太陽の巫女に居住を許可された山です。

 

 

 

この神社はヤタガラス土偶で知られていますが、実は西方からのミトラ教のアイオーン像のようです

 

ヤタガラスとされてる土偶

 

 

アイオーン像

 

 

 

中臣鎌足をまつる談山神社。三輪方面の山の裏手にあります

 

 

 

 

ここなんと神社なのに入るのに600円かかるんですよね

 

同じ藤原氏の春日大社も本殿に10メートルくらい近づくのにお金かかりますが、、

 

 

舒明天皇陵。写真が斜めになってしまいました

 

 

 

このあたりが神武天皇より前に住んでいた天照大神の巫女の居住地でした

 

外鎌山の麓です。この山の方が高く、隣の鳥見山の方が低く

 

低い山の方を神武天皇に譲ったということからもこの山の重要性が分かりますね

 

大和朝倉駅の近くです。

 

福岡にある朝倉がここ大和に引越したということです。

 

福岡と関西に同じ地名がたくさんあるのは偶然ではありません。

 

卑弥呼の邪馬台国が北九州から関西に引越したのです。

 

卑弥呼と神功皇后と天照大神は同じ一族の巫女です

 

 

 

 

三輪方面に移動中にクラウドシップが来てくれました。嬉しかったです

 

 

 

大神神社と書いて、オオミワ神社です。

 

その近くにあまり知られていない小さな神社があります

 

 

 

 

三輪の近くの纏向遺跡にもいきました。

 

ここは道が整備されていない行きにくい場所にありますがとても重要な場所です

 

 

この埋め立てられてしまったと思われる穴のところで超重要な古代の神事がおこなわれていました

 

 

 

大嘗祭の原型の祭祀です

 

この祭祀により日本という国の名前が生まれました。

 

冬至の日、東大阪や纏向の日の下(日のもと)で陽の男神である天照大神=太陽の光(=天日矛)を地面の穴に満たした水の水面(水鏡)に反射させ

 

巫女がその男神の象徴である太陽光を体内にとりいれて一体化したことでイメージで妊娠し、

 

日本の一年の指針を託宣した最重要の神事により日本という国の名前ができました。

 

日の下の巫女。それが日本です

 

 

 

 

 

その纏向遺跡の真東に位置するのが大兵主神社です

 

 

 

 

この神社の方から纏向に、男神である天照からの太陽光が送られたということなのだと思います

 

なので昔は天日矛を祀っていたとされています。

 

静かで厳かな雰囲気の神社でした。

 

 

 
今回めぐったのは古代日本のエネルギーを感じられる地域でした。
 

運転してくれた友人に感謝です。

 

Victory of the Light!