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betyaの日記

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喜界島のお母さん

 

大きな境涯で相手を包み、信頼の輪を広げよう

 

奄美群島の北東部に位置する喜界島。 この美しき珊瑚礁の島で、地道に妙法流布に歩み抜いてきた友の奮闘が、第23巻「敢闘」の章に記されている。

 

荒れ狂う宿命の怒涛に泣いていた富島トシは、1956年、入会。

宿命転換のために、自他共の幸せを実現していく折伏が必要であると聞いた。彼女は奮起し、弘教に歩く日々を送った。

旧習が深い島である。素直に仏法の話に耳を傾ける人は少ない。

富島は、水をかけられたり、塩を撒かれたり、鎌を持って追いかけられたりもした。

だが彼女は、何をされても、笑みを絶やさず、仏法対話にまい進していった。

 

その地道な奮闘もあり、61年8月、喜界島に初の地区が結成され、富島は地区担当員(後の地区婦人部長)になった。

だが翌月、台風で家が吹き飛ばされてしまった。

彼女は祈った。喜界島まで指導に来てくれた人が、ゆっくり休める広い家がほしい。

島の広宣流布のために、会合などに使える立派な会場がほしい、と。

 

すると、東京に出て、不動産会社に勤めていた息子が、「母ちゃんのために、喜界島に家を建てる」と言ってくれた。64年、20畳を超す部屋のある家が完成。

立派な家が地域の評判になった。その見事な実証は、折伏の勢いをつけることになったのである。

 

「敢闘」の章には、祈りの一念の重要性が述べられている。

「広宣流布のためとの一念が込められた祈りは、願いを成就させる大力となる。地涌の生命が沸き起こり、その声は大宇宙に轟き、諸天が働き、世界が動くからである。

広宣流布に生き抜くなかに、所願満足の人生があるのだ。

御聖訓にも、『題目を唱え奉る音は十方世界にとずかずと云う所なし』と仰せである」

 

富島は、”喜界島のお母さん”と、皆から慕われた。悩みをかかえる友がいれば「苦しいと思った時が勝負だよ。厳しい冬の次に待っているのは、春なんだ。信心で打開できない問題なんてないよ」と、大確信の励ましを送った。そして、”山本先生とお会いして、喜界島のことをご報告したい・・・・・”と祈り続けていた。

 

その願いが、76年8月、実現する。富島は、鹿児島・霧島の九州総合研修所で行事に参加。研修所に滞在していた伸一が、周りの幹部に「ほかに励ます人はいないのかい」と尋ねると、九州の婦人部の幹部が、富島を紹介したのだ。

 

広布のための祈りは、願いが成就する力となる

 

伸一は、富島と一緒に勤行した後、彼女の奮闘に称賛と感謝を述べた。

富島は、いろいろなことを報告したかったが、感極まり、言葉が出なかった。すると伸一が、包み込むように語り掛けた。

「わかっています。全部わかっていますよ。あなたの心は、痛いほどわかります。本当によく頑張ってこられた。悔しい思いもされたでしょう。辛い思いもされたでしょう。そのなかで、法のため、社会のために戦ってこられたこと自体、あなたが仏であり、地涌の菩薩であることの証明なんです。

広宣流布のために流した汗は、福運の結晶となって、永遠に自身を荘厳します。

広宣流布のために動き抜いたならば、来世は、強く健康な体を授かるでしょう。

勇んで苦闘に挑み抜いた人には、幸福の大勝利が待っています。

それが、仏法の因果の理法です。

どうか、これからも喜界島の太陽として、幸福の光で、みんなを照らしていってください」

 

さらに伸一は、共に記念のカメラに納まり、色紙に和歌を認めて贈った。