広布伸展の要因
第27巻「激闘」の章には、78年5月、鹿児島を訪れていた伸一が、鹿児島のリーダーと、奄美の広宣流布が大きく伸展している。
”要因”について語り合う模様が出てくる。
「学会撲滅」のデモが行われた地域もある奄美だが、同志は、一歩も引かずに折伏を重ねた。
そして、信心を貫き通した人は大きな功徳の実証を示した。反対に、弾圧した人の多くが行き詰った。
その厳然たる現証で、人々は学会員の言葉に耳を傾けるようになった。
さらに、打ち出された運動を中途半端にせず徹底して行ってきたこと、一人一人が地域貢献に尽力してきたことが、奄美の発展の力になっているーそうした奮闘を聞き、伸一は期待を語った。
「私たちは、学会にあって、一人の人を大切にすることや、自他共の幸せを創造する生き方を学んできました。それを糧に、地域のために働いていくんです。
いつも学会員だけで集まって、何かしているというのでは、社会での信頼を勝ち取ることはできません。
どうか奄美は、鹿児島県は、常に地域建設の先駆けであり続けてください」
我もまた君らと共に
さらに先生は、奄美の同志との師弟の絆を、第28巻「勝利島」の章、第30巻〈上〉「雌伏」の章に記している。
76年6月、伸一のもとに「奄美広布決議」と題する一文と、有志が制作した「奄美広布の歌」のカセットテープ、譜面が届けられた。
そこには、師弟共戦で島の広布を推進する誓いがみなぎっていた。
また、奄美群島の徳之島で盛大に開催された文化祭の模様も、報告が届いていた。
伸一はペンを執った。
「奄美の日、おめでとうございます。
皆さんの『奄美広布決議』を拝見しました。20日には徳之島での文化祭も見事な成果を収めたとのこと。はつらつとした皆さんの躍動の姿を嬉しく思います。
決議文は御本尊様にお供えしました。それに対する私の気持ちを申し上げます。
『ああ 雄々しき哉 奄美創価学会の友
ああ 逞しき哉 奄美共戦の地涌の友
ああ 奄美の同志の決議を 宝前に捧げ 我もまた 君らと共に
君らを守りながら 戦うを誓う』
大切な、かわいい奄美のお友達のご健康と幸せを心から祈念して、私のメッセージといたします」
(第28巻「勝利島」)
78年8月には、九州研修道場で、奄美のメンバー10数人と懇談した。
「仏法は勝負です。10年、20年、30年、いや50年とたった時に、すべては、ますます明らかになる。
勝負は一生です。より根本的には、3世という尺度で見なければならない場合もありますが、最後の大勝利を確信し、不退の勇者として生き抜いてください。
それには、心が強くなければならない。臆病では信心を全うすることはできません。
大試練に耐えるとともに、自分の慢心や名聞名利への執着などに打ち勝つ強さが必要です。
学会を離れれば、最後は後悔します。孤独です。
広宣流布の陣列から離れることなく、はつらつと歓喜の大行進を続けてください」