お金はないが時間が有り余っていた中学生のとき、テレビゲームで対戦したりスポーツで勝負したりしていた。
それら勝負を盛り上げるツールとして、罰ゲーム、というのは非常に良いスパイスとなっていた。
ヘッドロックをかけられる、好きな人に電話する、など様々な罰ゲームが設定され、負けた人はそれを忠実に実行した。
全員が必ず罰ゲームを実行するという破ってはいけない暗黙のルールがあるからこそ、ゲームは盛り上がるのだ。
しかし同じ罰ゲームを何度も続けていると、すぐにその効力は弱まってくる。
遊びの内容以上に罰ゲームの内容がいかに面白いかが重要なのだ。
そして罰ゲームは徐々にエスカレートしていった。
結果、肛門をむき出しにしてオナラをする瞬間を披露する、という罰ゲームが生まれた。
負けた人は、下半身を露出した状態で四つん這いになる。
四つん這いになって両手でおしりをがっちりと掴み、両サイドに広げる。
肛門がむき出しになったまま、オナラが出る瞬間まで待つ。
ただひたすら待つ。
「お!屁でそう!!見てて!!」と期待させるも、オナラが出る寸前に消滅することもあった。
直前まで肛門の手前にいたオナラは一体どこにいったのだろうか?
僕らはその現象を、神隠し、と呼んでいた。
そしてこの罰ゲーム、オナラを出す方だけでなく、オナラが出る瞬間を見る方にとっても罰ゲームなのだ。
何が悲しくて友達の肛門を凝視していなければいけないのか。
ひたすら屁が出るまで待つ。
15分くらい待つこともザラにあった。
そんなときに神隠しにあうとなんともいえない怒りが湧いてくる。
肛門を拡げている友人に、つま先でキックしたくなるくらい腹がたつ。
友人のほうも「ごめん!ホントごめん!」謝る。
肛門を拡げたまま。
地獄のような光景なのだ。
しかし、オナラが出る瞬間を見たときのうれしさは筆舌尽くしがたいものがある。
拡げられた肛門が2~3ミリ程度さらに開くのだ。
その瞬間、
ぷ、ぷす~
と音を立てて出るオナラ。
そんな光景に声を出して笑った。
そのような罰ゲームも、繰り返しやっていると効力が弱まってくる。
そこで次に考えだされた罰ゲームは、全裸で逆立ちをする、だ。
壁に向かって倒立をし、重力に負けたキ◯タマやチ◯コを見てゲラゲラ笑う。
そしてそれにすらも飽きてくる。
すると今度は、全裸で逆立ちをホームビデオで撮影する、という罰ゲームにパワーアップした。
撮影された後、みんなで鑑賞する。
そこでまたゲラゲラ笑う。
このような形でパワーアップを繰り返していき、最終的に、負けた人はチ◯コをしごかれる、という罰ゲームになった。
これは精神的にもつらいものがあった。
何せ相手は男なのだ。
興奮してはいけないという気持ちが逆に興奮を誘った。
なんとかして大きくならないよう精神を集中させる。
そしてこの罰ゲームもまた、ホームビデオで撮影というオプションが加わった。
そこである友達に悲劇が起こった。
ホームビデオで撮影中、「あ、やばい。ストップストップ!」と言いながらイッてしまったのだ。
そのときは、みんな笑えなく、異様な雰囲気になってしまった。
みんなで鑑賞したら笑えるのではないか?
撮影したものの上映会が始まったが、誰一人笑わなかった。
笑えなかった。
なんか越えてはいけない一線を越えてしまったようで、気まずくなってしまったのだ。
それ以降、罰ゲームはお金に変わった。
一つ大人の階段を上った、中3の秋のことだった。
ちなみにお金の罰ゲームも、ある友人の借金が10万まで膨れ上がり、首が回らなくなったことをきっかけに消滅した。
終わり。