就職活動 | こびないブログ

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による"こびない"ブログです。

僕は23歳の時に就職活動を始めた。

ホテルのバーやスポーツジム等のバイトを経て僕が行き着いた答えは[とにかく好きなことを仕事にする]だ。

器用にこなせるタイプではないし、嫌だと思ったら続かないという自分の性格を考慮すると、この考えがベストだと思ったのだ。

自分が好きなこと=目立つこと
目立つことで自分にできそうなこと=予備校、塾

という考えに至り、教育サービス業界を中心に採用面接等を受けにいこうとすんなり決まった。

そこでまずは全然関係のない企業の採用面接を受けに行こうと決めた。

度胸をつけるためだ。

そのためには、まず、失敗をしなければいけないと考えた。

なるべく大手で失敗したほうが、より面接に対する耐性をつけられると考えた。

そこで、たまたま見つけたのが某運送?会社「い◯ゞ」だ。

さっそく一次面接を申し込んだ。

面接の日。

エントリーシートは当日の面接直前に会社近くの公園のベンチで書いた。

これはエントリーシートを書くのがあまりにも面倒で後回しにしていたからだ。

何を書いたかの詳細は覚えていないが、エントリーシートはひどい出来上がりだったということは覚えている。

初めての面接なので、面接前はとにかく緊張した。

そしてあまりにも準備不足で「面接官に怒られるのでは」という恐怖すら
あった。

さすがに大きな会社だけあって、たくさんの人が面接を受けに来ていた。

面接する部屋も10部屋くらいあり、同時に何人も面接していく、という感じだった。

僕の番が来た。

当然、い◯ゞさんの予備知識はゼロだ。

なんなら車に関する知識もゼロだ。

面接官の男性が
「なぜうちの会社なのですか?同じディーゼルであればヤ◯マーさんもありますが」
といきなり意味不明な質問をしてきたので、さっそく頭が真っ白になった。

ぼくは
「町でトラックをよく見かけるので」
と訳のわからない返答をした。

面接官がぽかんとしていたので、
「あとは、あの『べ』みたいな繰り返しのマークが印象的で」
と本当の意味で駄目な、ダメ押しをした。

そこから先の記憶はない。

気づけば会社を後にして大森駅周辺を歩いていた。

あまりにも面接の体を為していなかったので、みじめさを通り越して愉快な気持ちになってきた。

そして、これならもうどこの面接も怖くない、と自信を手に入れた。


数日後、僕はとりあえず埼玉にある、埼玉では大きな塾の説明会にエントリーした。

東大宮に本部がある塾で、今調べてみたら埼玉に52教室もある会社だった。

説明会当日、参加者はなんと僕1人だった。

見ると、資料の置かれた空席が5席ほど。
どうやら、僕以外の5人は連絡なしでドタキャンしたようだ。

そんなこんなで、偉い人と一対一の説明会を終えて、二次、三次、筆記試験、模擬授業…と順調に進み、さくっと内定をもらった。

他にもエントリーしていたところがあったが、内定をもらった会社と日程が重なってしまったこと、僕自身もその会社でいいな、という思いがあったので、他の会社の採用面接は受けなかった。
い◯ゞさんを除くと、その会社しか受けていなかったのは多少不安だった。

しかし、最初の説明会での偉い人の言葉で
「人の欠点を責めるのは幼い子でもできる。人の良いところを認められるのは大人でもできない人が多い。私たちは人の良いところを認めながら伸ばしていきたいのです。」
という言葉が響いた、ということが大きかったので、そこに就職することにした。

内定をもらって一ヶ月後くらいの5月に、内定者旅行にも連れていってもらった。

長野県の八ヶ岳あたりだった気がする。

旅行中は非常によくしてもらい、他の内定者とも仲良くなった。

宴会場で天体観測を歌ったことや、僕の恋愛での失敗談が盛り上がり、先輩方にもたいそう気に入られた。

旅行の終わりで
「来年の春、オッシーが入社してくるのを待っています!」
とたくさんの方に言ってもらった。

1年後は埼玉に引っ越し、その会社で塾講師をやることにした。迷いはなかった。


そして、翌年の春、僕は二度目の大学四年生になっていた。

留年だ。

例の会社に事情を説明するのがなんともしのびなかった記憶がある。

おわり。