
大学に行くのも、もう数日しかなくなりました。
お忙しい皆様には恐縮ですが、卒業まですさまじくやることがないです。
釣り、ツーリング、ラーメン屋めぐり、プラモデル製作、PC・音響装置あそび……多趣味だと思ってた自分の引き出しの浅さを痛感します。
あとは泊まりがけのスノボと温泉めぐりくらいか……。
ちなみにギターはフレット摺り合わせのために入院しました。
というわけで、読書してみました。
大学院に入ってからは、めっきり専門書以外読まなかったのですが、今回は文庫本の書評でもしてみます(ドヤ顔)。これによって検索にひっかかりやすく、アクセス数を増やす作戦です。
あ、先に好みを言ってしまいますね。お花畑系、甘っちょろいやつは基本的に読まないです。
ロックじゃないからです。読んだ後、「フ○ック!!!」と叫びたくなるからです!!(必死)
歴史ものとかは好きです。割と大学入試の現国的な、論理的なものが好きです。太宰は大好きです。
表題の通り、羽田圭介『ワタクシハ』(講談社、2011年)を読みました。出先で携帯の電池がなくなり、電車でやることがなくて手持ち無沙汰だと思ったので、駅構内のキヨスクでなんとなく買いました。
作者の羽田氏は、気鋭の若手作家で、僕の1つ上の方です。17歳で作家になり、明大入学後、芥川賞候補作をいくつか出版しています。代表作は『黒冷水』『走ル』など。
本書の大きなテーマとしては、不条理と自己の折衝(妥協?)、そして前進する若者、といったところでしょうか。
ここは後述でまた詳しく説明させてください。
本書の帯にあるよう、大学生による就職活動に焦点をあてた内容で本書は構成されています。以下、簡単に内容をご紹介します。
主人公の太郎は、高校生の頃にギタリストのオーディション番組に出演し、約4000人のギタリストの中から合格、プロのギタリストとなります。彼をギタリストとしたヘヴィメタルバンドは、30万枚のCDセールスを記録、武道館ライブ、全国ツアー等を成功させます。太郎は、高校生ながらバンドマンとしては最高の成功を納めることとなりました。
しかし、彼が大学に入るとバンドは自然消滅してしまいます。かつてスターであった太郎は、大学3年の頃にはありふれたごく普通の大学生になっていました。バンド時代に貯まった莫大な貯金は、一人暮らしを続けるうちに目減りしていき、太郎の危機感を煽りました。
一方、彼の大学の友人たちは就職活動の真っ最中。太郎の彼女・恵は、アナウンサーになるために9ヶ月間アナウンス学校に通い、万全の準備をしていました。そんな彼女や友人たちを見た太郎は、「俺も頑張らなきゃ!」とは思いません。ただ生活への危機感から、なんとなく自らも就職活動を開始します。
彼らは様々な企業を志望しましたが、ひたすら落とされ続けます。太郎の、CDを30万枚売り上げたという自己PRも、企業には「ふーん、で?」という感じで一蹴されます。恵もキー局を全て落とされ、地方局を転々とする活動となってしまいました。グループワークでは、身勝手な学生に巻き添えを食らい、意味もなく大学へ向かい友人たちと顔を合わせる日々が続きました。
こうした、非常にリアリティのある就活の描写が、作品を通して描かれています。最後も、ハッピーエンドとは言い切れません。というか、かなり切ない感じで終わります。頭の中をお花畑にしたい人は、読まない方が幸せだと思います。レビュー見ても、スイーツ(笑)の方々には不評のようなので……。
この作品は、受動的ニヒリズムに動かされる社会構造における、等身大の大学生が描かれています。正直者がバカを見たり、いいヤツが報われなかったり、シビアな世の中をうまく断片的に可視化しているように思います。
「CD30万枚売った」自己PRにしても、そこから何を社会的に還元して何が出来るのか言えないと、ただの自慢で終わります。余談ですが、大学院にはそういう人、腐るほどいました。すごい研究してるんだろうけど、結局還元性がなくて何の為に研究してるのか、何を専門にしてるのかさえ見えてこない。学会とかで発表してる人だろうと、それが見えないならば、その人はただの権威主義的似非研究者だと僕は思います。それは、研究を世を良くするツールとしてるのではなく、権威誇示のため、即ち研究発表を目的としているように映るからです。
自慢とPRは根本的に違うんです。社会では、それを知ってなくてはならない。
また、作中の多くの学生は、当初の志望を諦めざるざるを得なくなってしまいます。勿論、彼らは悩みます、が、多くは志望していなかった職でも内定が出た時点で就活を終えます。
たとえば、パイロットになりたくて就活をした子が、生命保険の総合職に内定を貰って就活を終える。これはハッピーエンドなのでしょうか?
確かに、志望した仕事ではない。他業界他業種で、自分の中で志望職との妥結点を得た結果であるとも言える。が、実際問題、内定がなかなか得られない中で、一社決まったこと自体は幸せなことなのではないか、とも考えられます。どの視覚から就職活動を考えるか、或いは人生を見るか、という点で意見は分かれると思います。
つまり、そうした葛藤であったり自己の欲求と現実の折り合いをつけるのが就職活動であり、社会人である、ということがこの本の解釈として有り得ます。ニヒリズム社会を、就活が表象しているといっても差し支えないのかもしれない
しかし、それが一面に過ぎないことも、実はこの本は語っているのではないかと僕は思います。あとがきでは、それぞれの登場人物がそれぞれのフィールドでの後日談が描かれています。何気ない場面ですが、彼らが努力している場面からは積極的に社会に向き合う姿勢が読みとれ、作者の社会観が見えるように思います。そこには、作者の、現役大学生へのメッセージも感じられます。
先ほど、テーマは不条理と自己の折衝と申し上げました。就職活動という、ここまで努力してきて最後は運と虚構がモノを言う、何とも不条理で不可解な社会システム(と、いうより教育とのマッチングが全く取れてない。教育にも問題がある。)。その中で自己実現に向けて努力する大学生。この本は、就活だけでなく男女関係、バンド活動にも触れていますが、やはり理想通りにはいきません。
結果だけ見ると、受動的ニヒリズムという社会観へ傾斜した作品なのでしょう。しかし、読み込むと、筆者の言いたいことはその先にあることに気がつきます。すなわち、不条理と自己の折衝を批判しているだけでは何もならないこと。その中でもがいて、滑稽であろうと実行し、自分を変えていく。社会に向き合わない限り、世界は見えてこない、ということだと僕は考えました。それは夢を捨てろということではありません。そうであってもこれは必要なことなのだ、ということです。
実際、僕自身も、研究者の道を断念し昨年は就職活動をしていました。しかし、大学院生というのは、年齢的・給与的に、余程社会還元性のある分野でないと企業は採りません。実際、数え切れないほど企業説明会や選考会にいき、99%くらい落ちました。
勿論、僕自身の人間性や能力が、それに見合わなかったからなのです。とはいえ、このくらいの戦果は他の学生にもありうることだと就職課はいいます。
当初は教職、という道も考えました。が、大学院生をやっていって多くの学校の先生と話すうち、その道は僕にとって、社会の本質を知らないで終わる道だと感じました。教育と社会、学会と教育は、今、あまりにも乖離しているからです。
事実、就職活動を通して、とても勉強になったことは多い。批判され、否定され続けることは、確かに苦しいですが、それだけ成長を促す劇薬となります。何がどうとは言えませんが、とにかく4月からは学生気分を一切排除して働いていける自信はつきました。
就活してる方、就活を終えた方は是非読んでみてください。かなり考えさせられる、良作だと思います。もちろん、それ以外の層の方も、社会と教育の大きな結節点である就活を、改めて見直すと面白いはずです。
ちなみに、太郎たちの大学はどうも作者と同じ明大という設定になっているらしく、「17階の学食」「2階中庭の喫煙者」「タワー型の校舎」「本校舎隣の建物の2階の就職課」「大学の近くの神保町」「1~2年の時に通った甲州街道沿いのキャンパス」といったワードに僕はニヤニヤしてしまいました。
明大生は無条件に面白いと思います(笑)
長くなりましたが、これくらいにします~。