声優・関智一の自伝的エピソードのひとつに、少年時代の「ダイナミックプロ訪問」がある。
東京都新宿区西早稲田にあった事務所を勇気を出して訪ねたところ、永井豪や石川賢は不在。代わりに対応してくれたのが、同じくダイナミックプロ出身の漫画家・風忍だった。関はそこで直筆サインをもらい、さらに「グレートマジンガー」のイラストを描いてもらったという。
当時、風忍はすでに『地上最強の男 竜』(週刊少年マガジン/1977年)などでデビュー済み。しかし少年・関はそれを知らず、後になって「もし代表作を知っていれば竜を描いてもらえたのに」と悔しがったと語っている。
もうひとりの“同体験者”
ところが、ほぼ同じ体験をした人物がいる。筆者である。
時期は1982年、「マンガ博覧会‘82」で展示されていた『西郷ドンの像』が駐車場に置かれていた頃。やはり永井豪や石川賢を目当てにダイナミックプロを訪問(上記『大名見来』は、その時の戦利品)したが、不在。そこで応対してくれたのがやはり風忍であり、描いてもらったのは「グレートマジンガー(“鉄也!研究所を壊す気か”の隣頁)」だった。
当時、筆者もまた風忍の代表作を知らず、「せっかくだから『地上最強の男 竜』をお願いできればよかった」と後悔した点まで関と同じである。違いといえば、関が「電話番号案内104で住所を調べて訪ねた」と語るのに対し、筆者は「代表作を『最強の男 竜』&『超高速の香織』と超高速アピールをした」くらいのこと。結局どちらも「逆にグレートマジンガーを描いてもらえたのは一周回ってレア」という結論に行き着いた。
その後、筆者は1997年、池袋PARCOで行われたサイン会(太田出版『ガバメントを持った少年』出版記念)に足を運び、風忍から改めて正式なサインをいただいた。少年時代の邂逅は、20年の時を超えて再び接続されたのである。
ダイナミックプロと新日本プロレス
こうした“ダイナミック的邂逅”は、漫画とプロレスの世界をつなぐ試みとも重なって見える。
1976年の特撮番組『プロレスの星 アステカイザー』を皮切りに、永井豪とダイナミック企画は新日本プロレスと密接にコラボレーションしてきた。
- 1987年:永井豪デザインによる「ビッグ・バン・ヴェイダー」が新日本に登場。デビュー戦は伝説となる。
- 1989年:アニメ『獣神ライガー』と新日本リングの「獣神サンダー・ライガー」が同時展開し、アニメとプロレスのクロスオーバーを成功させる。
この流れを思えば、幻の作品『タイガーマスク・ザ・スター』の復刻は大いに望まれるところだ。
“初代タイガーマスク”佐山聡の人気と並走する形で構想されたこの作品は、タイガーマスクの伝統と新日本のリング、そしてダイナミックプロの系譜を結びつける存在となり得た。
“同志”の存在
関智一と筆者、そしておそらく当時ダイナミックプロを訪れた多くの少年たちが、風忍から“グレートマジンガー”を描いてもらったに違いない。
それは一見、永井豪や石川賢の不在による“代替”のように思えるかもしれない。だが後から振り返れば、プロレスと漫画がクロスオーバーを繰り返してきた歴史と同じように、思わぬ出会いが唯一無二の価値を持つことを証明するエピソードでもある。
ダイナミックプロと新日本プロレスの交差点にある「風忍のグレートマジンガー」。それは、少年時代の偶然の訪問が生んだ“プロレス的奇跡”だったのかもしれない。
#ダイナミックプロ
#永井豪
#石川賢
#風忍
#関智一
#マンガ博覧会
#地上最強の男竜
#超高速の香織
#タイガーマスク・ザ・スター
#新日本プロレス

