──『ひそねとまそたん』の「ヘッピリ」、ガンダムの「全天周囲モニター」、そしてメニエール病──
1. 空を飛ぶには、目を明け渡さなければならない
『ひそねとまそたん』(2018、監督:樋口真嗣)は、「ドラゴン」が実在する世界において、自衛隊の戦闘機に擬態した生物兵器=OTF(Organic Transformed Flyer)とその搭乗者=巫女=Dパイ(ドラゴン・パイロット)の関係を描く異色のアニメ作品である。特撮・怪獣ジャンルを基礎にしながらも、物語の根底にあるのは「飛行とは何か」「乗るとは何か」という非常に身体的な問いだ。
Dパイたちは、搭乗にあたって「ヘッドピースリアライザー(通称:ヘッピリ)」と呼ばれる装置を装着する。これはドラゴンの神経系とDパイの視覚野を接続し、搭乗者がドラゴンの視覚を“リアライズ(現実化)”するための装置である。ここで重要なのは、視覚が拡張されるのではなく、他者(=ドラゴン)の視覚に“接続”することによって空を飛ぶという構造である。
ヘッピリがもたらすのは、自己の視界を手放すことで得られる新しい運動感覚だ。ドラゴンの視覚で空を見るとは、自らの目を閉じ、別の目を開くこと。それは「乗る」ことの本質が、機械の制御ではなく他者との接続=共感=共棲であることを示している。
2. 全方位の視界──ガンダムの「見る」技術
このような視覚の共有あるいは転移は、『機動戦士ガンダム』シリーズにもすでに前例がある。モビルスーツの標準装備である「全天周囲モニター・リニアシート」は、パイロットの座席を中心として、機体の外界をモニター映像で360度包囲するインターフェースである。
『Ζガンダム』(1985)では、アムロがカミーユに対して「後ろにも目をつけろ」と助言する場面がある。これは単なる比喩ではなく、視覚が身体の正面に限定されないことを前提とした知覚の訓練として読むことができる。つまり、全天周囲モニターとは“視覚の脱身体化”を促す装置なのだ。
こうしたインターフェースがもたらすのは、戦闘空間における「超感覚的知覚」である。視線はもはや首の可動域に制限されない。自己の身体性を超えた視界を操作することで、パイロットは状況把握と判断を一体化し、戦場の「空間」そのものと接続する。これはニュータイプ的知覚の前段階として描かれている。
だがこの全天周囲視界も、あくまで視覚を“情報”として受け取るための技術的代替物にすぎない。問題は、人間の身体がそれを“現実”として処理できるかにある。
3. 「重力に魂を引かれている」──感覚の反乱
ジオン・ダイクンはかつてこう語った。
「人は重力に魂を引かれている」
この言葉は、地球という重力のある世界において進化した人間の身体──とりわけ五感──が、宇宙という新たな環境に適応できないという限界を示す。重力のない空間では、視界も、方向も、上下の感覚すらも崩れる。そのとき人間はどう「見る」のか、どう「感じる」のか。
視覚インターフェースが提示する未来像──全天周囲モニターやヘッピリのような装置──は、あたかも人間が空間の束縛を超越できるかのような印象を与える。だが、そこには視覚中心主義への偏りと、それに対する身体の反乱が潜んでいる。
実際の体験例として顕著なのが、アーケードゲーム『戦場の絆』(2006)である。この作品は、ドーム型の視覚環境によってガンダム世界の「パイロット視点」を体験できるよう設計されているが、強烈な視覚刺激により多くのプレイヤーが「酔い」を感じた。筆者自身、メニエール病の診断を受けており、三半規管に障害を抱える身として、このゲームに耐えることができなかった。視界が拡張されたはずなのに、身体はそれを「異常」と判断して拒絶したのである。
4. メニエール病と「ニュータイプの不在」
メニエール病とは、耳の内リンパ液の異常によって平衡感覚(前庭感覚)に支障をきたす病である。めまい、耳鳴り、吐き気、バランス感覚の喪失。症状は多岐にわたるが、核心は**「自分の身体の座標が信じられなくなる」こと**にある。
全天周囲モニターが提示する「すべてが見える」環境や、ヘッピリによる他者視覚との同調は、一見すると人間の感覚拡張に見える。だが、それは視覚偏重のテクノロジーであり、内耳や平衡感覚など“見えない感覚”との断絶を含んでいる。
人は簡単に視界を拡張できない。むしろ「自分の感覚が現実である」と信じている限り、拡張された視界は異物となり、身体が反乱を起こす。ニュータイプとは、単に目のいい人ではない。五感すべてが脱重力化し、宇宙に適応した新しい“人類の身体モデル”を指しているのだ。
結語:「視ること」と「いること」の未来へ
全天周囲モニターとヘッピリは、人間の「見る」能力を拡張する装置として、テクノロジーがいかに感覚を超克しようとしてきたかの証である。だが、そこには必ず**「重力に魂を引かれた」身体の反作用**がある。
メニエール病という“現実の病”は、ガンダムの世界のように「見ること」だけを拡張した先に、身体が必ずしもそれについていかないという限界を突きつけている。視覚の未来は、身体の再設計なしには訪れない。むしろ、重力や感覚の“限界”を自覚することこそが、テクノロジーとの“共棲”の第一歩なのかもしれない。
視ることは、生きることの延長線上にしか成立しない。
そして、生きることは、重力の中でしか始まらない。
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