―永井豪『ズバ蛮』における歴史改変表現の衝撃と構造―

 

1971年、永井豪の漫画『ズバ蛮』は、一文で読者の常識を吹き飛ばした。

「織田信長が死んだ!天文二十年十月 十七歳の若さだった!」

歴史を知っている者なら誰でもツッコミたくなる。
織田信長は1582年、天正10年に49歳で亡くなっているはずだ。
それがなぜ、「天文20年(1551年)に、17歳で死亡」などという設定になるのか?

だがこの一文こそが、『ズバ蛮』という作品の本質を凝縮した“開幕の号砲”なのである。

 

 

  ■ 歴史改変ではない、「歴史破壊」の宣言

 

一般的な歴史改変フィクション(いわゆる「ifもの」)では、
「もし〇〇が××だったら…」という仮定を軸に、緻密な物語世界が構築されていく。

しかし『ズバ蛮』は違う。
はなから歴史を“壊してしまう”。
それも極端に、ギャグとして、唐突に。

このセリフの持つ機能は以下の三点に集約される:

  1. 読者の現実認識を破壊する:常識は通用しない世界へようこそ。
  2. 物語ルールのリセット:歴史・倫理・因果律の停止。
  3. ギャグと暴走の許可:すべてがあり得る=何でもできる。

つまりこれは、「if」ではなく「NO(ノー) to history」という宣言である。

 

 

  ■ 「史実破壊」を通じて暴走キャラクターが生まれる土壌

 

ズバ蛮は、戦国時代に現れた謎の異能力少年。
時代考証などお構いなしに、武将を殴り、爆発し、忍者を投げ飛ばす。
物理法則も倫理も通じない彼の暴走を、読者はある種の快楽として楽しむ。

その「暴走の正当化」をするのが、冒頭の信長即死というトンデモ歴史改変なのだ。
この世界では、本能寺の変など起こらない。
そもそもそんな事件が起きる前に、信長は退場している。
よって、ズバ蛮の暴力が歴史を歪めてしまう責任すら回避できるのである。

 

 

  ■ 『ジークアクス』への影響 ―「開幕一文で世界を転覆させる」形式の継承

 

2025年に放送されたアニメ『機動戦士Gundam GQuuuuuuX(ジークアクス)』(鶴巻和哉監督)は、
「シャアがガンダムを奪っていたら?」という歴史改変から物語が始まる。

この作品もまた、開幕早々に歴史の流れを“おかしくする”。
その結果、少女マチュが狂犬のごとく暴走し物語世界を上書きしていく。
彼女= ジークアクスが駆け上がるのは、ザクの腕、そして最終話では“ハイパー化したガンダム”の腕。


一文の歴史改変 → 暴走キャラ → 巨大な他者との対峙という構造が、
ギャグからシリアスへと転位している。

項目

『ズバ蛮』

『ジークアクス』

歴史の改変

信長が17歳で死亡

シャアがガンダムを奪う

主人公

ズバ蛮(破壊者)

マチュ(狂犬=暴力)

巨大な対比対象

ジャンヌ・ダルク(巨大化)

ハイパー化したガンダム(シュウジ)

ズバ蛮の一文が開いた“何でもあり世界”の構造は、今も強く息づいている。

 

 

  ■ 結語:「織田信長が死んだ」ことが意味するもの

 

永井豪が仕掛けたこの一文は、単なるギャグでも、トリビアでもない。

それは物語世界の論理をリセットするトリガーであり、
“正史”や“常識”に背を向けて、作者の暴走を許可する創造の爆弾である。

その衝撃は、『ズバ蛮』という奇想天外な作品を成立させただけでなく、
後続の歴史改変・パラレルワールドもの――とりわけ『ジークアクス』のような黙示録的作品においても、
いまだに**「世界を狂わせるための最小単位の装置」**として生きている。

織田信長が死んだとき、歴史が生まれ変わった。
いや、それ以上に――物語が自由になったのだ。

 

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