お片付け | 《あたま》と《こころ》を整える

《あたま》と《こころ》を整える

自分の頭と心の整理と吐き出し。

先週、仕事を1日休み片付けをした。

割とこまめに片付けはしていたものの、

つい「またでいいか」と延び延びに

していたものを片付けて、

それだけでも、だいぶ気持ち的に

スッキリしたのだけど、

今日、もう少しテコ入れし、

長いこと楽しませてもらった

ドライフラワー達ともお別れしました。


手放すと言うのはなかなか簡単ではない。

けど、自分のキャパは決まっていて、

手放さなければ入ってこない。


とは言え、わたしは決して無理に

手放すことはしていなくて、

「今は無理」「もう少し」

そう思ったら、そのままにしています。


ある日ふと「もういいかな」と言う

タイミングが訪れるから。


特に今回手放したドライフラワーたちは

名前を付けたり、とても大切にしてきた

花たちだったので、何度も何度も

『ステイ』を繰り返しました。


そして今日、
やっと「もういいかな」に辿り着きました。


わたしは結構執着心が強い。

一言で言ってしまうと

「そうなのか」で済んでしまうけど、

《なぜなのか?》

と自分に問い続けると、

意外と簡単に手放せたりする。

(あくまでわたしの話だし、手放すことがよくて、手放せないことが悪いと言う話でない。)


執着って、ちょっと『意地』にも近い気がする。


なんであんなに拘ったのだろうか、と

思うときも多い。


以前に比べて、手放せるようになった今、

心も軽くなれた気がする。


繰り返しになるけど、

手放すのがよくて、手放せないのが悪い

そういう話ではない。


わたしにとっての片付けは

ただの片付けではなくて

大切な《練習》なのです。


取っておけばいいじゃん。

そう思うものも、

あえて今はサヨナラすることもある。


きっと、巡り巡って

違う形でまた出会えるはず。