先日、月に一度の日本海チャプター・コーチング勉強会に参加。

その日のテーマ「戦略を持って聴く」を、もう一度おさらいしようと

終了後、コーチ仲間と近くのスタバでセッションの練習。


そういう日は、大抵気がつけば

スタバのスタッフから閉店時間のあいさつをされることになり

その日も帰宅したのは11:00を過ぎていた。


そんな感じの毎日なので、実家へ寄った時母親に

「最近、顔色悪いよ。ファンデーションがあってないんじゃないの?」

と言われた。


「別に替えてないよ」と私。


「でも、肌も荒れてるし、すごく老けて見えるし......」

「え。(こりゃまたキツイ言葉...)

ん~そりゃ、仕方ないよ。トシとったんだもん」

と、適当に話を切り上げようとする私に、


「仕事もあるのに....コーチングとか、無理なんじゃないの」


がーん。

なんてことをいうんだ、母は。


せっかく娘が、やりたいことを見つけて頑張ってるというのに。

一気に、気分がマイナスになる。


もちろん、それは私の体調を心配しての言葉だ。


公務員だった母は、私の年齢くらいのときは激務が続き

帰宅も遅かった。

それから祖父母の看病などが加わり

その後母は何度も大病を患った。

今でも後遺症と付き合いながらの毎日だ。


私自身も、これまで深夜まで残業したこともあるし、

転勤と子育てで体調を崩したり、

決して健康に自信があるとは言えない。


女性が働くこと自体の厳しさを知っている母は、

そんな娘のことが心配で、やることなすこと、口をはさみたくなる。

多分それは親として 当然の感情だろう。


でもね。


「無理なんじゃない」

とか

「そんなことばっかりして、

子供(あるいは夫の・あるいは嫁ぎ先の)世話は?」

なんて言い方をされたら


できてない部分に思いを巡らせて


「ああ、私ってやっぱりだめかも」

と、思ってしまうでしょ?



こんな風に心配するクセは、

私だけでなく、多分母自身も

幼い頃からかけられた言葉がかなり影響していると思う。


思えば 私は親に褒められた記憶があんまりない。

多分親が聞いたら「そんなことない」というのだろうけど

「○○したらダメ」

とか

「××しなさい」

って言われたことのほうが、印象に残っているんだろう。


というより、自分でそういう記憶を大きくして来た可能性もある。


親が、子供を心配して観ている眼は

子供の心にとても強く影響を与えるものだから。


その眼を無意識に思い出して、

うまくいかないことがあると

「私には無理。できない。自信ない」

とストッパーを自ら作っていたのかもしれない。



さて。

以前の私なら、母の言葉に がーん、となったら、

そのまま落ち込むか、

母に文句の一つも言っていただろう。


でも今なら。

「母の、娘への思いだけを、受け取る」ようにする。


「私は、あなたが心配なのよ。大事な娘だから」と。


ありがとう。心配してくれて。

できるだけ、ちゃんと寝るよ。お母さん。