今朝の地元紙に、

八尾蛭谷和紙の唯一の継承者である方が、

休業するという記事が載っていた。



この方はまだ20代。

平成16年、当時既に高齢であった方へ弟子入りし、

その方が亡くなった今、

彼がただ一人の継承者となっている。





伝統工芸とは

全くの別世界にいた若い青年がこの世界に入り、

完全手作業の昔ながらのやり方を伝承している

というニュースは

彼の持つ技術の素晴らしさとともに、

よくTVや地元紙にも紹介され、

私は

「若いのにホントに凄いヒトがいるなあ.....」

と思っていた。



華々しいニュースの中では、

彼の、真摯に実直に伝統に向き合う姿が

ある意味、

「若者の新しい生き方」としても紹介され

さらに国の伝統工芸品として指定されていながらも

後継者がいない

という問題を抱えていた

周囲の安堵感のようなものも伝えていた。



でも。



どんなに熱い思いをもっていても、 

どんなに貴重な商品であっても、

そして最高に素晴らしい技術を持っていても

それが他から求められないならば、

それは「仕事」になり得ない。



400年続いた伝統を消さないように、というのであれば

それは飾りではなく、「生きた」ものにしなければ、

これからだって続かないだろう。



彼がどれほどの思いで休業にふみきったのかと思うと

本当に、切なくなる。







「仕事」は、ほんとうに、厳しい。





こんなとき、会社員として働く自分の甘さを実感する。

そしてまた自問自答する。



私は、コーチとして

求められることができるんだろうか....

と。