これまた面白い本を読んでいます。
「RANGE-知識の幅が最強の武器になる」(デイビッド・エプスタイン著)
まだ読み始めて10分の1程度。電子書籍で読んでいるので本の厚さはわからないが、多分かなり分厚い本である。
10分の1程度読んだ時点でかなり面白い本だと感じている。今回はその10分の1だけの情報をお伝えする。
最初に出てくる話題はタイガーウッズとロジャーフェデラーの話である。
この2人はすごく対照的に世界のトップに上り詰めたということが紹介されている。タイガーウッズは超英才教育を受けてきたようで、彼は生後7か月の時点でゴルフのパターを持って遊んでいたらしい。
タイガーウッズの父親(父自身も傑出したスポーツ選手で野球が専門。また、元グリーンベレーの一員)は息子の様子を見て「この子はただ者ではない」と感じ、息子のゴルフの才能を引き出してやるのが自分の天命だと確信し、徹底的に英才教育を施したようである。英才教育の結果どうなったかは説明する必要がないわけだが、これがスポーツ界では分かりやすい、早期から徹底的に1つのことに専門的に取り組み、費やした時間が成果に比例する成功例であると紹介されている。
一方、フェデラーは全く対照的である。フェデラーの場合は幼い頃には色々なスポーツに取り組んだようである。スカッシュ、スキー、レスリングや水泳、卓球やバドミントンなど、球技は何でも好きで「ボールを使うスポーツだったら、なんでもやってみたいと思った」というセリフを残しているそうだ。
実は、フェデラーのお母さんはテニスのコーチである。しかし、母親は息子のテニスをまったく指導しなかったらしい。その理由は「イライラするだけだから」ということで、敢えて引いて見ていたようである。
タイガーとフェデラー、この2人は非常に対照的だが仲は良いらしい。著者が言うように、フェデラーのようなパターンは世間にとってあまり印象に残ってないだろうと指摘している。実際には珍しいとも言い切れず、起こりうるパターンだが、あまり成功者のイメージとして連想されにくい。タイガーと違って、子ども時代に英才教育を受けたわけではなく、どちらかと言うと遠回り、寄り道をしながら育ち、次第に専門的にテニスに取り組み始めた晩成型である。
ここからが面白いところで、エリート選手とエリートでない選手を調べると、15-18歳さらに18-21歳における1週間あたりの平均練習時間を調べると、エリート選手のほうが圧倒的に長い。これは想像に難しくないと思う。しかし、それより以前(12-15歳、9-12歳、0-9歳のそれぞれ)までさかのぼると、エリートでない選手のほうが練習時間が長いのである。これが何を意味するのか。
私の文章だと少し論理の飛躍があるが、著者の言葉を借りていえば、非エリート選手では早期の専門化が起きているというわけだ。才能があると感じた小さい子にテニスならテニス、サッカーならサッカーというように、1つのことをやらせ、短期間には実績があがる場合もあるだろうが、それが永続しない。
逆に、将来一流になるエリート選手は早いうちから専門的に取り組んでいないわけである。練習量が少なく、専門的にやっていない。ということは、その分、他の多様なスポーツに取り組みいろいろな刺激を受けているというわけである。実はこれが理にかなっていて、小さい頃に特定の型にはめるのではなく、多様な刺激・経験が将来のどこかで必ず生きてくるという話である。
スポーツの世界では「10,000時間の法則」というのがあって、どんなことでも10,000時間ほど取り組めば上達し、プロのレベルになれるというものである。幼いうちから才能を見極め、早めにスタートを切り、とにかく時間をかけて才能に磨きをかけるという考え方である。今回でいえば、タイガーウッズの例である。
フェデラーは逆であるが、実はこれがスポーツだけじゃなくてビジネスでも同じことがいえる。若い頃から狭い範囲でプロフェッショナルとして働くこと。あらゆる分野で業務の細分化が例として挙げられるが、長期間で考えると、色々なことを経験し、精通し、考え方や背景の異なる連中と働いてきた経験(刺激)がある人間のほうが、いわゆるプロフェッショナルと比べ、斬新な発想、革新的なアイデアを生み出すなど、トータルで見ると高いパフォーマンスを発揮するのだという。
この本の中では、スティーブ・ジョブズが例に挙げられており、彼はカリグラフィーの授業がデザインのセンスを育むのに重要であり、その経験がなければマックにいくつもの書体はなかったし、可変幅フォントもなかったと述べている。