オリンピックの年だけ強い選手がいる。というか、オリンピックの選考会だけ強い選手がいる。

 私にとっての最初で最後のオリンピック挑戦は2012年のロンドンオリンピックだった。

 2000年のシドニー大会の年にオリンピックを目指し始め、その12年後、オリンピックと自分自身との距離が最も近くなった大会だ。

 結局は行けなかった。近いようで遠い。遥かに遠い。
 「追っても追っても追いつかぬ」
夢破れた私の心に浮かんだ、当時の感想だ。

 2012年のオリンピック最終選考会は大阪・長居で行われた。テレビのゴールデンタイムに合わせて、夜の競技会であった。日本トップレベルで活動できた期間が短い私にとって、夜にピークを合わせた大会はこの試合だけだ。忘れようにも忘れられない。

 前年に自己最高記録を出し、日本ランキング10番以内にいた自分にとっては、夢のオリンピックは遠いけれど手が届くような気がする、そんな舞台であった。

 選考会は6月にあったが、陸上競技選手にとっては冬のトレーニングが試合の成果のほぼすべてを左右する。冬に故障を抱えてしまった私は、試合前には既に勝負ありの状況だった。

 故障を抱えて過ごした冬は色々なことがあった。心も揺れ、感情の起伏は激しいものがあった。これについてはまた別の項で述べたい。それについて述べるだけでもかなり言葉が必要であり、自分にとっては示唆に富むものである。


 最終選考会はあっさりと敗退。自分が目指してきた道はこんな風に終わるのか。体から力が抜けていく感じがした。悔しいのとも違う、すっきりしないが、どこかに答え合わせができた納得感のようなものもあった。

 さて、自分の種目が終わっても、他にも種目はある。つまり、まだオリンピックへの道が続いている人間もいるわけだ。チャンスがある者がいる。

 チャンスを失った自分はぼーっとその様子を見る。印象に残っているのは男子400mHだ。

 絶対的王者に挑む才能溢れるハードラー。

 レース展開はドラマを観ているようだった。才能あふれるハードラーは長身で日本人離れした体型だ。早くから将来を嘱望されていたが、高校卒業後はなかなか全国タイトルに縁はない。名門大学にすすんだものの、故障が続き、思うように過ごせているようには見えない。
 対する絶対王者は強い。勝負に強い選手だった。要所要所で勝ち上がり、日本代表にも選ばれている。この2人は1つ違いで前者のほうが後輩だったと記憶している。絶対王者のほうが年上だ。

 才能あふれるハードラーは前半から飛ばしに飛ばしている。長身なのだから、本来は後半に強さを見せるタイプだ。前半から飛ばす姿はあまり見たことはなく、そのエネルギーたるや、見ているだけでも凄まじい。
 絶対王者はそこまで飛ばさない。こちらは逆に、先行逃げ切りでペースを掴んで勝つ姿をよく見てきた。いつもの展開と2人とも逆なのだ。

 スタートから150mを過ぎ、200mを過ぎ、2人の差は縮まらない。このまま逃げ切るか?観ていて単純に思った。スタンドは超満員で、オリンピックの選考を兼ねている夜の日本選手権は雰囲気が異様だ。お祭り騒ぎとも違う、独特な盛り上がりを見せている。

 250m。長身ハードラーの脚が少し止まってきた。いつもより飛ばしていることから、乳酸が溜まってきているのは明らかだ。40秒を超える種目では、乳酸との戦いは避けられない。飛ばして飛ばして目一杯飛ばしているだけでは、乳酸に体の動きが邪魔されるのは目に見えている。飛ばしに飛ばすが、乳酸が溢れ出さないように微妙なコントロールが求められる。


 300m。苦しくなってきた。絶対王者のペースは落ちない。

 350m。前半飛ばしたツケがここできた。動きが崩れ始めている。

 390m。ここで逆転。王者は悠々とトップに躍り出る。さすがだ、強い。会場は歓声とため息と。観客の視線は先頭争いに釘付けだ。

 400m。勝負あり。王者は逃げ切り、前半飛ばした挑戦者は敗れ去った。トラックに崩れ落ち、仰向けだ。夜空に輝く星が綺麗だが、本人の目には入っていないはずだ。

 300mあたりから400mまでは15秒程度なのだが、そこに対照的な2人のドラマを感じ、胸に残るものを感じた。

 勝者にはあっぱれ。ここ一番で見せる強さは素晴らしい。

 けれど、敗れ去った挑戦者にも胸を打たれるものがあった。悔しいのは間違いないと思うのだが、全力を出して勝負に出た人間の生き様の清々しいこと。自分も敗者だったから、余計に共感したかったのかもしれない。






 最終選考会が終わって結果を見ると、見慣れぬ名前をいくつか見かけた。見慣れぬ名前は上位に食い込んでいて、見事オリンピック日本代表を手中におさめている。

 不思議なものだ。強く、実績があってもコンマ数秒の差でオリンピック代表の座を勝ち取ったり、負けたりしているものもいれば、この試合だけ一瞬輝き、日本代表になってしまうものもいる。平均点ではなく、最高得点なのだ。普段どれだけ強いかはあまり意味はない。もちろん、その先の話は別だ。日本代表として戦えるかどうかは。

 でも、一瞬輝いてオリンピックに出て行った人間はだいたいそこまでで、その後は何をしていたか分からないくらい競技的には終わってしまう。

 2012年もそうだった。自分が当事者だったから、余計に印象深い。色々な競技人生があり、何が良いかは正解はない。

 開催されるか分からないが、東京五輪の選考会も楽しみに観戦させてもらおう。

 余談だが、このとき敗れ去った400mHの才能溢れるハードラーはこれ以降開花し、日本では無敵の選手になった。日本代表にも複数回選出。だが、今のところオリンピックには縁がない。

 東京大会があれば、ぜひエネルギーのすべてを尽くした、観ている人間が震える走りを。