交換部品も製造終了らしくまったくの取り替え工事が必要なようです。
銭湯にでも出かけようとしたのですがセッションルームのお風呂に
入りに来ました。長女はやはり近所の銭湯へひとりのんびりと。
次女と息子は待ち時間を利用して塾の課題などをやってるようす。
壊れたからできるなんとなく非日常的な行い。
でも、出費がかさむことは否めませんな(笑
不漁続きの魚の乏しい海で祈りとともに大漁であることを望みます。
人はそれこそが奇跡だと決めてしまいがちです。
やがて不漁になると神に見放されたと思い込み
太古では人身御供すらいとわないようでした。
これは今でもありがちなことなんですね。
何かしら上手くいくときはよいのですが、うまくいかないときには
どうして祈りが通じないのか?なにがいけなかったのか?
そのループに陥りがちです。
人身御供などは行われませんが自らを責め立て痛めつけることにより
祈願成就を図ろうとしてはいませんか?
軽く望んでみてください。
◯◯だったらいいな、、
望み求めることは卑しいことではなくごく自然なことです。
この記事を読んでくださっているのであれば
意識したにせよしてなかったにせよ自動的に行われてきたこと。
この記事があなたの役に立つかもしれないし無駄な時間を過ごしたような
気持ちになるかもしれません。
あなたの奥深いところにある意識に問いかけてみてください。
こんなありふれたことも奇跡なんだよね。って。
