わたしは6月末に「仕事がジャブジャブ欲しい」ってオーダーをしました。
そしたら・・・大量の依頼を創出しました。
19日までになんとかせねばなりませんでした。
そう!ねばならない!
スグにねば~ランドを生み出してしまいがちです。
だから自らに新たなオーダーをしました。
「任せたからね」
当初は正直いって焦りました・・・が、目処はついています。
どうしようって手段を思考するのを中止して
自らが創った課題であるから自ら解くことができる。
ToDoリストや優先順位マトリックスを描かなくて
思うように委ねてきたらうまく潮流に乗ってこれたようです。
DVDを観ていました。
「ラスト・ワールド」
究極の状況では論理的思考に基づき選択し行動することが最善であることを
証明し生徒たちに教えようとする教師とそれに従い選択能力を培おうとする
高校の卒業課題のような物語でした。
週末戦争時に核シェルターに入ることができるのは選ばれた10人だけ
ランダムに与えられた仮想職業や人格構成を考慮して最良の人選を行い
シェルター内で1年間を無事に過ごしその後に人類を復活繁栄させる
シュミレーションを空想的に行いました。
論理的には最善の人選を行ったようでも
実際の生活においては上手く機能せず
本来の設定ゴールには到達できませんでした。
新たな社会を形成するために建築能力のある大工や工学者
医師や優秀な遺伝子をもつ者などを選び
詩人やオペラ歌手ワイン業者デザイナーなどを排除し
合理的に選んだ者達でいざシェルター生活を始めてみても
その生活は破綻してしまいました。
その映画の中で「洞窟の比喩」が登場しました。
生まれてからずっと洞窟内で手足を拘束されて生きていた人間は
目の前の壁に映る影だけが全てだと思い込んでいました。
やがて拘束を解かれ背後を振り返るとそこに生きている人たちの
実態がありました。目にしてきた影がホンモノだと思っていたのに
じつは単なる投影にしか過ぎない。
そのような喩えなんでしょうか。
詳しくは「プラトン 洞窟の比喩」で検索してみてください。
わたしたちは五感で知覚できるものこそが総てであり
捉えることが出来ないことを排除しようとして生きています。
新たな世界を知ろうとするとき
データー収集に始まり比較検討をしそれを理解し納得しなければ
前に進もうとはしませんでした。
一見、合理的、論理的と思われる選択をしてみても
うまく立ちいかない時
そこには従来の社会的規範が見え隠れしているからなんですね。
洞窟の壁に映し出された「社会」がこの世の総てではなく
自ら鎖を解き放ち、その足で立ち上がり周りを見渡した時に
真の姿が見えてくるのかもしれません。


