昨日は祭り仲間の結婚式二次会に顔出ししてきた。
知り合った頃の彼は貧乏大学生だった(笑
携帯電話はボロボロでアンテナが折れていて
インフルにかかっても病院に行くお金もなく(笑
大きな飲み会を起ちあげたいということで
その意志に共感し毎夏恒例となったビアガーデンでの
大騒ぎも今年で13回めを数えて世代交代もし
新たな顔ぶれが中心となっていっそうと盛り上げてくれている。
その言い出しっぺの彼が結婚した。
今はTV局のカメラマンとして働いている。
200人近い参加者のほとんどは知らない人ばかり。
その中で10名程度が覚えのある顔で
近況報告などの話に花が咲きました。
知らぬ間に家庭を持った子もいたり
はたまた知らぬ間に離婚をしているヒトもいたり
人間に歴史アリって笑いながら話していました。
そんな中で参加者のひとりである友人と会話を楽しんでいるうちに
過去ってなんだろう?って話題に・・・
彼もいろいろな苦境に立たされ
いまもその渦中でもがいているとのことでした。
わたしからの返答は
過去は自分という人間を型成している情報の一部だよ。
わたしの場合においては森有規という人格を成り立たせるために
その情報を参照して
「こんな人物だ」と決めているにしか過ぎない
過去は変えられないというけれど
情報の参照のしかたを変えれば自ずと人物像も変わり始める。
アイデンティティーの崩壊ではなく
リストラ=構造改革を選ぶことはいつでも準備されている
それに着手するかしないかの自由も持っている。
その友人は
「もう少しココで遊んでみます」と話してくれた。
なんだか小難しい話をしながらもちゃっかりビールを手放さないわたしなのでした