それがわたしの動力源だった
子どもの頃はきょうだいやいとこやきんじょの友だち
働くようになると同僚や先輩や上司
職人の道を選んでからもやはり同業者や取引先の関係者
あの人は職歴は浅いのにあれほどの腕を持っているとか
すごく丁寧で良い仕事をする。
その割には安価に提供している。
確かに嫉妬心があるから負けたくないって気持ちが生まれて
ここまでやってこれた?やってきた?
その嫉妬心について自分に問いかけてみた。
すると左胸辺りからちょっと拗ねたような態度で応えが帰ってきた。
「いつまでも自分を認めないからどんどん嫉妬すべき相手を創り出している」
「他の誰かに成ろうとしている」
思い返せば確かにそうだった。
憧れの先輩や上司のように仕事をこなしたい
上司の家庭がわたしの見本とするところだ。
同業者が設備導入すればおなじように自分もなりたい。
それが順調なときはそれでよかった
追いつけ追い越せでよかった。
やがてゴールのないマラソンだと気づいた時に
苦悩が付きまとうようになってきた。
ならなくていい。楽しめば良い。
野球選手のスーパープレイを見ているように
わたしはイチロー選手には成れないし成ろうとも思わない。
わたしはAKBのセンターには就けないしやろうとも思わない。
それはそれこれはこれ
「すっげ~~!」って感嘆してれば良いだけのこと。
美味しい料理を作って子どもたちが嬉しそうに頬張る笑顔をみていたい。
それは名コックに成るのではなく面白おかしくレシピを学ぶこと。
そして一喜一憂していたい。
それがいまのわたしの感覚です。