他人という言葉は・・・ビフォー・アフター | 癒しが進めば何でも出来る!

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ダンナとの関係性に疲れてしまった。
いつもダンナの振る舞いにイライラしてしまう。
本当は仲良く生きていきたいのに・・・。

夫婦関係に疲れてしまった女性の心を徹底的に癒しています。
もういちど輝いてたあなたを取り戻してみませんか?

エネルギー・マスター(EM)
宝地図やレイキなどの普及に務められている
望月俊孝さんが考案されたセラピー手法なのですが
このセラピスト養成講座の同期生のひとりが
わたしが変わり始めるキッカケとなった
吉岡希さんでした。
(本日がお誕生日とのこと・・たぶん24歳くらいでしょう 笑)

セッションルームを設けるにあたり
自らも被験者となりクライアント目線で部屋の様子を知りたいので
愛知県在住の同期生と練習を兼ねて交換セッションを行いました。

交互にセラピスト側クライアント側を体験できるので
とってもステキな時間を過ごすことができます。

エネルギー・マスター・セラピーは
とてもとても強力な手法で人が抱え込んできたビリーフなどを
手放して解放するには有効な手段です。
わたしがそれまでに学んできたセラピーやヒーリングとは
一線を画すものでした。
(後にジーニーさんと出会いそれすら霞んでしまったのですが)


今年の初めに大きく落ち込んだ時にも
その同期生と交換セッションを兼ねて癒やしを受けました。
それまでにクライアントとして体験をしてきたので
ある程度は解放されて辛さが消えるのでしたが・・・。

それから随分と時間が経って昨日に久しぶりに受けたのですが
わたしの両親に対しての思いをテーマに扱ってみました。

施術中にお腹の底から思いっきり叫ぶ部分があります。
「バカヤロー」
「いい加減にしろ~」
「子ども扱いするな~」
などなど・・・とにかくいろいろなネガティブな思いを吐き出すのですが

そこでわたしの中にあったのは
そもそも癒される存在ではないこと

やはり父や母は他人であったこと
他人という言葉は冷たさを孕んでいるかもしれませんが
父も母も一個の独立した存在でありやはり神々であること。
ふたりはそれを経験したくて舞い降りてきたこと。
親としてではなくひとりの神として生き方を尊重すること。

わたし叫びを届けたかったのは幻影であり
まるで障子に映ったわたしの影に向かい憤りを感じていたこと
そこにふと気づくととにかく笑いがこみ上げてきました。

それはジーニーさんとの対話を通じて正体を見破っていたのですが
思いっきり叫ぶことにより思考や肉体にもそれらを伝えたかった
そのような感覚なのでした。

EMセッションの途中に
人生に大きく影響を与えた人々を思い浮かべるくだりがあるのですが

最初に登場したのは母親でした。

EMを知った頃のわたしは
「おかあさん。産んでくれてありがとう」
そのようなメッセージを伝えたことを覚えています。

昨日は、「お疲れ様でした。ありがとうございました」と
そんな思いがこみ上げてきました。

そこに居た母親はただの中年女性でした。
(現在は70歳を超えた老女の範疇のはずなのですが)
父親もそうでした。ただの中年男性でした。

わたしが主演の舞台の脇を務めてくださっていた
とても重要な役者さんのような感じなのでしょうか。

千秋楽とか映画のクランクアップのワンシーンのような
父も母も特殊メイクで老体を演じてくれていました。
メイクを落として素の顔でありひとりの人間(役者)として
そこに現れてくれました。
手を握り深々と頭を下げて感謝の言葉を伝えるわたしなのでした。

自分が主役のドラマを、一層エキサイティングにするために
わたしがキャスティングして演じてもらっていたのに
役に没頭するあまりそれをすっかりと忘れてしまっていたのですね。

甘えてはいけないという禁止令を自分にかけていたこと。
甘えるという体験を味わいたくてそれを肌で感じたくて
わたしはこの世に降り立ったことを思い出したこと。


誰もが在るがままで素晴らしい

そのフレーズが全身に染みわたるのを感じていました。


また・・・幸せについて書いてみます。