前回からの続きになります。
主題は「瞑想会&トーク」なのですが
ただのトークに留まりはしませんでした。
20人ほどの参加者だったのですが
とても内容の濃いものでした。
時間と空間のこと
「今ここ」と呼ばれることの意味と
「今ここ」を体感するワークや説明
自身の内面が如何にして外側に投影して
世界を創り出しているのか・・・・
ジーニーさんに初めて出会った時に
個人セッションを受けて体感して
その感覚は知ってはいたのですが
改めて思い出しました。
ジーニーさんのことを全く知らない参加者
わたしのようなファンのような参加者
誰もがその素晴らしい味わいを体験していたようでした。
後のシェアでは初めてジーニーさんの元に訪れた女性は
いつもイヤな思いをさせられている職場の人が
可愛く思えたこと
それを話してくれました。
自らが作り出してきた問題がいかに思い込みであり
固まった視点でしか物事を捉えていないことを
簡単なワークを通じて感じ取っていた様子でした。
ようやく・・・タイトルの件です。
7月に博多まで行ってきたことは記事にしてあるのですが
その帰りの新幹線車内で
わたしは全く動いていないような感じがしていました。
(新幹線もなにもかも自分)
そして、8月13日のことでした
ある方とのやりとりの中でもう一度
マトリックスのPart2を観たくなって
早送りで観ていた時に思い出しました。
わたしは博多へ行っていなかった
ずっとココにいた・・・・
それは自宅のPCの前とかではなく
ココにいた。。。その感覚でした。
それは球体のようなものが
広いキャンバスの上に置いてあるというか浮いているというか・・・
強引に例えるとしたならば画用紙の上にピンポン球を置いておいて
画用紙が動いている。その画用紙はまるで海面のような感じでした。
今回のジーニーさんのお話の中にも登場したのですが
やはり同じでした。
それを理解しやすく言葉にまとめてくださって
ジーニーさんらしからぬ?アグレッシブな講義のように
話が展開されていきました。
どこにも行っていなかったことが幻想ではなく
どこかに出かけていることのほうが幻想であること。
それがとても腑に落ちた日でした。
目の前に起きることその全てが必然であるのですが
思考レベルでは理解できないこと。
そして無理やり理解する必要もないこと。
観念づけされて生きてきた人間の
その向こう側から世界を眺めた時には
笑いすらこみ上げてきたこと。
とても興味深い日を過ごすことが出来ました。
わたしにとってジーニーさんはタレントのような方です。
勉強をするとか何かを学ぶとかではなくて
面白い方だからこそ会いに行きたい
それが歌やお芝居や演劇や映画とかではなくて
だけれどそのような嗜好的な感じです。
いつか再びジーニーさんがこの地方に来られることがあれば
積極的にお知らせをしたいと考えています。