Coaching FLORA 充実感と輝きに満ちた人生を応援するコーチ 松原 和代のブログ

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ドラマに思いを馳せる心

とある居酒屋のカウンター。


70代前半と思われる男性と、

40代前半くらいの女性が、

並んで熱燗を飲みながら、

ひたすら話し込んでいます。


里帰りでしょうか、

どうやら二人は親子のようです。


女性の反対側のとなりには、

その女性の娘らしい、

小学校中学年くらいの女の子も座っています。


その子は、食べるもののこと意外は、

二人の話に加わることもなく、

早々に食事を済ませ、ゲーム機に没頭しています。


そんな3人と、

カウンターのコーナーを挟んで、

斜めに向かい合う形で座っている夫婦の奥さんが、

軽蔑したような視線を隠そうともせず、

3人を見比べています。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・


実は、この3人組は、

実家の父と私と娘です。


この奥さんの視線に気づいた時は、

一瞬ひるみました。


その視線から、


「居酒屋に子供を連れてくるものではない。」

「子供をそっちのけにしてはかわいそうだ。」

「子供にゲームばかりさせていてはダメだ。」

など、


「正しいことは何か?」を、問われている気がして、


「ああ!ダメ家族の烙印を押されてしまう~!」

という焦りが、一瞬心の中を駆け巡りました。


けれども、

落ち着いてよく考えてみると、


母に先立たれ、一人暮らしをしている父に、

数か月に一度しか会いに来れないこと、

その間、おじいちゃんは、話し相手が猫しかいないこと、

それでも、日頃おじいちゃんは家事なども頑張っていること、

だからママは、この時間はおじいちゃんとゆっくり話したいこと、

歩いて行ける、昔なじみの居酒屋で食べる、

鉄火丼と、鶏肉の磯部揚げが、娘はとても大好きなこと、

待ち時間をどう過ごすか考えて、

ゲーム機を持って行くことに決めたこと、

居酒屋のあとに行く近くのカフェで、

3人で冗談を言い合いながら飲む、

ホットココアのマシュマロが楽しみなこと・・・・・。


全部、私たちにとっては了解済みの、

この場で正しいことだと思い到ると、

焦りはどこかに消えて行きました。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


これはすべて、

その視線から想像して、私の中に起こった反応ですから、

この奥さんに、そういうつもりがあるかどうかは分かりません。


ひるがえして感じたことは、

「パッと見て嫌悪感を感じる行動」というものは、

私自身にもあるということです。


無意識に、この奥さんのような視線を

送っていることもあるかもしれません。


臨床心理学者の故・河合隼雄さんは、

「人の心がいかにわからないかということを、

確信をもって知っているところが、専門家の特徴である。」

と、言っています。


見えている奥にある、さまざまな色合いを持つ

その人のみならず、その人を取りまくドラマに

思いを馳せる心を育てることに、

これからも精進していきたいと思いました。


ペタしてね







「今、ここ」を生きるために

宗教評論家 ひろさちやさんは、

仏教が、お葬式あるいは、

死者の為だけの物になってしまったことを、

とても残念に思われているそうで、

「生者の知恵」としての仏教の教えを、

あまり詳しくない私にでも、分かりやすい文章で表現され、

多くの書籍を出版されています。


そんな中の一冊、

「親鸞と道元ー自力か他力かー」という本の中から、

印象に残ったところを、一つご紹介します。

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曹洞宗の開祖、道元禅師は、

修行の途中、中国で禅を学ぶために、

師の明全とともに海を渡ります。


事情があってか、中国に上陸できるまでのしばらくの間、

道元が船の中で生活していた時、

一人の中国僧が、当時日本からの輸出品であった、

椎茸を買いに来ました。


その僧は、『典座』という、

禅寺で台所をあずかる僧で、61歳の老僧でした。


道元は、中国に渡って初めて出会った禅僧ともっと話したくて、

食事をご馳走しますから、もっといて下さいと引き止めます。


けれど老僧は、

「明日の食事をつくらねばならぬ、すぐに帰る。」

と言い張る。


そこで道元は、

「他にも食事の支度をする人はいるでしょう。

そんな、明日の食事をつくるという雑用なんかより、

仏道修行の話のほうがもっともっと大事ではありませんか。

それにあなたはもうお年なのに、

なぜそんなわずらわしい典座などという職になど

就いているのです?

もっと一心に修行すれば良いではありませんか。」

と言いました。


そのとき、老典座は「アハハハ・・・・」と笑いだし、

「外国の方よ、あなたは修行のなんたるかが分かっていない。」と、

言われます。

・・・・・・・・・・・・・


禅の修行観は、

仏になるために修行する、のではなく、

仏だから修行ができる。


それを突き詰めると、「生活仏教」としての禅が見えてくる。


顔を洗うのも修行。

入浴するのも修行。

呼吸も排泄も寝ることも修行。

もちろん座禅も修行。


つまり、生活そのものが修行なのです。


だからこそ老典座は、

「私は椎茸を買って帰って、

明日、おいしい素麺をつくってみんなに食ってもらう。

みんなは素麺を食うのが修行であるし、

わしにすればその素麺をつくるのが修行。

わしたちは一生懸命修行しておる。

それがわからずに、あんたは台所仕事を軽蔑しておる。

僧は座禅すべきで、そんな雑用は誰か他人にやらせろ、

なんて考えていなさるようじゃが、

それでは禅はわかりませんぞ。」

と、道元に素晴らしい教えを説きます。

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目標や目的が先行して、

そのプロセスを、おろそかにしていることが多々あるではないかと、

背筋が伸びる思いがしました。


それは、とりもなおさず「今、ここ」を、

生きていないということなのでしょう。


日々の営みの一つ一つを、

大切にしていきたいものです。


ペタしてね



今を味わうために

今日の午前中、住んでる地域主催の、

ウォークラリーに参加してきました。


娘のお友達と、そのお母さんのママ友と、
4人での参加でした。


午後からは雨になりましたが、
午前中は曇り時々晴れで、
暑すぎず冷えることなく、
本当に気持ちの良いひと時でした。


お寺を二か所に神社、
大型公園内の、展望台などのポイントを5か所巡って、
スタンプを集めて行きました。


その道すがら、子供達と笑いあったり、
ママ友と、長女さんの受験の苦労話や、
仕事の失敗の話をしたり、
上り坂では「キツイね~」なんて言いながら、
私たちは、そのコースを1時間半ほどで歩きました。


ウォークラリーのルールは、
その時々で、少しずつ違うとは思いますが、
今回は、チェックポイントにはゲームや景品があって、
そのポイントで、すべてスタンプをもらってゴールすれば良く、
ゴールするまでの速さを競うのでは無く、
主催者の方が決めた、いくつかの設定時間に近い人達数人に、
賞品が出されます。

その設定時間は、全員がゴールするまで発表されません。


なので道中、焦っている人は一人もいなくて、
ゆったりと、景色を楽しみ、季節を味わい、
おしゃべりで笑い、
もらったジュースで一息いれて、
ゲームや景品で、ちょっと盛り上がり、
初夏の1日を、笑顔で過ごされていました。


ゲームとして盛り上げる為に、賞品がでるタイムはあるものの、
速さや、決められた時間から解放されると、
今という時間を、しっかり味わえるということが実感できました。


慌しい時にも、そんな感覚を忘れないでいたいものですね。



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