便利さと思いやり
娘のスイミングスクールの
予約システムが新しくなりました。
それまで、電話連絡していたのから、
携帯電話やスマートフォンの
インターネットを使って、
欠席の連絡、振替予約、確認などが
簡単にできるようになりました。
大変便利です。
インターネットや携帯電話の普及などで、
さまざまなことが、
日々便利になってきていますね。
その恩恵をかみしめること、しばしばですが、
そんな中、ハッとする文章に出会いました。
ノートルダム清心学園理事長 渡辺和子さんの著書、
『目に見えないけれど大切なこと』の一説です。
~以下引用~
文明の所産は、数えきれないほどの多くの便利さを
私たちに与えてくれた。
たとえていえば、自動ドアがそうである。
両手にいっぱい手荷物を下げていても、
その前に立ちさえすれば自動的に開き、
しかも自分で閉める必要のないものだ。
その便利さをありがたく思う人も
多いことだろう。
しかしながら、他方で、
自動ドアが人間から奪ったものがあることを
忘れてはなるまい。
「自分の後ろに続く人を思いやる心」である。
(ドアの取っ手を離す前に、後続の人がいるか確かめて
ドアをそのまま押さえていたりする気づかい)
(中略)
かくて文明は、心身の不自由な人に自由を与え、
人間関係の煩わしさから人を開放し、
物事をスピーディーに処理することを可能にして、
忙しい人間に時間を与えてくれる。
しかしそれは同時に、
自動ドアの例でも明らかなように、
人間相互の助け合いの機会を減らし、
その心を失わせつつあるのだ。
思いやりというものは、
強いものが弱いもの、
持てるものが、持たざるものに、
つまり上から下に施すものではない。
それは「人」という字が
いみじくも表しているように、
不完全なもの同士が、
支えあう人間本来の姿なのである。
この大切なことを、
私たちは忙しい日常生活の中で
忘れてしまっている。
~引用おわり~
便利さで手に入れた時間や余裕は、
人との繋がりや、
思いやりの行動の為に得たものであると、
肝に命じたいと思いました。
いつも心に
母が亡くなって一年が経ちました。
月日の流れは、早いものです。
ところで先日、娘の誕生日に、
娘と一緒に、バースデーケーキを造りました。
チョコレートケーキが好きなので、
チョコレート入りのスポンジを焼いて、
チョコレートクリームを塗って、
娘好みの、市販のチョコレート菓子で飾ります。
その中に、アーモンドチョコレートがあって、
娘は、「一日三個」と言いながら、
つまみ食いをしつつ、トッピングをしていました。
この「一日三個」は、
母がよく言っていたことで、
アーモンドを、一日に三個食べると体に良いと、
テレビか何かで見たのでしょう。
そう言いながら、
三個のアーモンドチョコレートを
何度か母と一緒に食べたことを、
娘は覚えているのです。
これまでも、
アーモンドチョコレートを食べる時に、
「もっと食べたいけど、おばあちゃんが言ってた。」と、
言ってはいましたが、
今回、娘の誕生日にそれを聞いた時、
不意に、こみ上げてくるものがありました。
今年、娘は四年生になりましたが、
娘の物心がついていくにしたがって、
母は、だんだん弱っていって、
母にとって、一番小さい孫である娘と、
触れ合う時間は、多くはなかったと思います。
触れ合う時間が少なかった分、
娘が母を忘れてしまうことは、
私にとって、なんだか寂しいことでした。
けれど、この時、
娘の心の中に母が生きている事を、
不意に実感したのです。
それと同時に、
私の心の中にも、生き続けている母を、
強く感じることが出来たのでした。
大切な人との別れは、
とても辛く寂しいものですが、
その人は、私たちの心の中に生き続け、
いつも温かく見守っていてくれるんですね。
在りたい姿に近づくために
大変お久しぶりです。
これからまた、
ブログを始めていきたいと思います。
自己開示することに、
かなりの苦手意識があります・・・が、
肩の力を抜いて、続けていこうと思います。
『 「やろうと思ってはいるけど出来ない。」
そう言い続けることを、そろそろ止めませんか?』
この言葉を、
まさに今日、私のコーチからもらいました。
在りたい姿に近づくためには、
一つ一つの行動の積み重ねが大切です。
では、その行動をいつ始めるかといえば、
やっぱり、
「今でしょ!」
予備校講師・林修氏の声が聞こえてきます(笑)
楽しみながら
一緒に、新たな一歩を踏み出しませんか?
それでは、
これからまた、どうぞよろしくお願いします。