夫に変わって欲しいビックリマークからの卒業、

夫婦関係ファシリテーター

かしわぎ ともこです

 

シリーズでお送りする予定の
「銀婚式までの私達夫婦の歩み」

 

10回位のシリーズで、
私達夫婦の紆余曲折、
銀婚式を迎えた、26年目の今まで
を、
振り返っていきます。

 

今回は
「その5~適職探しの

末の学生生活

です。

 

 

夫の元に戻り、

何事もなかったかのように、

日常は過ぎていった…と思います。

 

実は、この頃の事は、

夫も私もあまり記憶に残っていません。

お互い心の底に沈めているのでしょう。

 

お互いに腫れものに触るように、

当たらず触らずの会話をし、

周りには平静を装っていました。

 

そんな間にも

夫の適職探しは続きました。

 

長く続かないから、

これぞという事を見つけたい

 

けれど、見つからないから、

とりあえずの仕事をして、

結局合わないから辞めてしまう。

 

そんな中、ある仕事がきっかけで、

医療系の仕事に目覚める事に。

 

夫の父は、整形外科医です。

しかし、お酒を飲むと暴れる父に反抗し、

同じ道を歩まなかった夫。

 

しかし、患者さんと接したい、

良くしたいという想いは、

医者になっておけばよかった…

という後悔になっていきます。

 

当時夫は、すでに32歳。

6年間大学に通って、

それから医者にというのは、

考えられませんでした。

 

ところが、理学療法士という、

リハビリに関わる仕事がある事を

教えられ、3年間専門学校に通い、

国家資格を取得する覚悟を決めました。

 

受験勉強中、夫を扶養して、

私が稼がなければならなかったのに、

多分ストレスからか、

体を壊して入院し、

仕事を辞めざるを得なくなりました。

 

 

2人で無職…
社会から断絶されたような気分

でした。

 

親にも、友達にも

言えませんでした

そんな人と別れた方がいい…

そう言われるのが怖かったのです。

私は別れるつもりはなかったので。

 

夫がめでたく合格し、

専門学校に通い始めた頃、

私もやっと職を得て働き始めました。

 

こうして、学生生活を謳歌する夫と、

子供を大学に行かせる母親

そんな構図になっていきました。

 

私がしっかりしなきゃ!

我慢して耐えなきゃ!

は続きました。

 

その6に続きます。

この続きはこちら☟

銀婚式までの歩み~その6 10年目の安定のはずが…

 

<シリーズ前回まで>

銀婚式までの歩み~前書き

銀婚式までの歩み~その1出逢いから結婚まで

銀婚式までの歩み~その2始まった結婚生活

銀婚式までの歩み~その3適職探し

銀婚式までの歩み~その4傷跡の修復

 

最後までご覧いただきありがとうございますラブラブ