ここ3年ぐらいラノベ読んだ記事を書いていないけれど、2025年1月の本の購入分析にあるように相変わらずラノベを買って読んでいるのだけど、この3ヶ月ぐらいで電子媒体の方を10冊ぐらい読んでいたものの、紙媒体7冊買った方を積んだままにしていたので、とりあえず3冊読んでみた。気力があったら全ての感想を書いていきたいけれど、まずは3冊読んだなかで1冊だけ挙げるとしたら、という観点でこの1冊を選びました。
フロスト・クラック
時雨沢恵一 / 黒星紅白 電撃文庫 刊
2025年10月10日初版ですね。もう、2ヶ近く月過ぎてましたか。
最初読み始めて10ページぐらいまで読んで
(ん?)
と思いました。
20ページ読んで
(ん??ちょっと待て)
と、思って、パラパラと本の後半のページをめくって軽く目を通す。
(おいおい、まさか。)
そして装丁を見るべく本を閉じ、帯をみる。
”全てが電話の会話だけで構成されたクライムサスペンス”
(まじか。最初から書いてあるじゃん。)
。。。。。こりゃすごいですわ。これ、会話文だけで小説書いている。
本当に地の文が無い。
地の文のない掌編などは今までの作品の中でも書いていることはあとがきの中で作者が触れております。確かに時雨沢さんの作品の中には地の文のない構成を使っている文章は時折見かけます。実際に9月刊行の キノの旅XXIVでも 例えば第5話「冗談が通じない国」とか、地の文がない文章(会話だけ)です。ただ、1冊完全に会話体だけで成立させたことにおどろきました。
あとがきの中では「対話体小説」を簡単そうに書いているような記述がある一方で、今回の発表までに新たなアイディアで構成を見直したり、つまりは全体的に手を加えていることについても触れています。時間の許す限り手を加えるというのは、往々にして会話が説明臭くなっていきそうなものを、そうならないように会話をコントロールして説明っぽさを排除しながらも情報として過不足なくす作り上げていくところが、プロの作家さんなんだなぁ、と感心。
さて「対話体小説」。二人の会話ならば交互に会話のラリーが続くだけですが、3名の会話の場合なかなかどうして難しいわけです。タナカとスズキとサトウの会話の中で、さん付け、君づけ、呼び捨て、そして口調から登場人物3名の関係性、性格などの情報がさりげなく与えられており、何ページか読み進めていくと、会話文を読むだけで話者が誰なのかなのかがわかります。
web版の横書きの方は話者がわかるようにしています。親切ではあるけれど必須ではないなぁ、と思いました。話者が明示されている会話の記録って、要するにLineなどのチャットに目を通すのと同じなので、今時のコミュニケーションと親和性が高いのでしょうが、話者を明示されていない「会話だけの小説」で読む方がより「地の文のない小説」の凄さがわかるというもの。
会話文の作り込みがしっかりできていれば話者の表示すら余計な装飾だといえます。話者の明示は不要なのだと改めて思いました。
しかし、、、、地の文がない文章って、舞台作家さんの書き起こす台本がそれに近いことはやっていますが、舞台だと幕間に地の文を入れることもできますし、背景や演者の演技そのものが地の文の代わりになってくれますが、小説だとそうはいきません。とはいえこの作品は5部構成にして、部を舞台でいうところの「幕」にして、会話の当事者を入れ替えているわけですが、大きな場面の転換が5回だけで、物語が作られている、ということでもあります。 本当によくできた(作り込まれた)作品です。
個人的に面白かったのは、ネタバレは避けたいので、文章の中の場所だけを書き示すと、四部の文末から数えて6文前の、「いい顔になりましたね」から始まった「〜自信に満ち溢れた怖いものがない顔です!」〜「〜そうかもな」という会話の流れ。これ、五部で回収されるわけですが、この辺の作りこみは、私は大好物です。
さて。ければ、予想できる範疇でしたが五部に書かれていることが全て正しいとしたら、本作は1冊で完結して続編は出ないと思いました。もちろん続編を出せないことはないですが、五部を矛盾させない続編を出すには、本話の時間軸で続けるのではなくイモトが生きていた時代に戻すか,
サトウを仕留めた後、何年か経過した.という時間軸で「彼」と「彼女」の時間が再び交錯しないと難しいかな。と思う。ただ、四部と五部のストーリーからすると、サトウを仕留めるための「彼女」への連絡と依頼、彼女のお爺さんと「彼」の関係にもっと深掘りしていきたいとは思いますが。。。
というか、
そもそも、主人公は誰なんだろうか。
少なくとも会話に出てきている2名(「彼」と「彼女」)の名前は最後まで不明だし。
ただ、これ、ラノベか、と言われるとラノベではないようにも思うし、一方でこれもラノベなのだ、とも思えました。