沖縄戦の映像を見たことがある人は沖縄の人の中でも減っている。
学校の図書館から「はだしのゲン」が消える理由で「家族のために鯉(コイ)を盗む内容が教育上不適切」という教育委員会、「今の時代に合わない」という理由。
戦争の時代にあった出来事など、今の時代に全て合わない。生きるために盗むこと、それほど切羽詰まった子どもの状況下を生んだのは戦争。戦争の悲惨さを語る事実(を元にした物語)に対し、「今の時代に合わない」という表現のせいでなくなる。子どもらを舐めているとしか言いようがない。仮に漫画を読んで鯉を盗んだとして、言い訳のときに「はだしのゲンで盗んでたから!」と言い張るなら、配信目的じゃない限りまだその子はいい子の部類なのではないだろうか。本を読んでいるのだから。
戦争の映像で死体が地上波で流れること、ガマ(壕)に向かって虫を殺すように躊躇なく火炎放射を放つ米軍、幼稚園生くらいの子が赤ん坊を背負って裸足でぼろの服を着て歩く様子、泣く子どもの口を押さえつけ殺してしまった人を見たという体験談、手榴弾を持って戦車の下で爆発してこいと日本兵に命じられた人の話、伊江島であった出来事を映画化し、その公開に合わせてニュースで本島ではなく伊江島での出来事を流す。
「戦争を知らない子供たち」という歌があるが、今の時代にそういった歌はでないのだろうか。
PEACEやLOVEというふうに英語でおよその意味で関節的な表現でライトな歌はありふれているが、反戦のメッセージを込めた、直接的なメッセージを持ったタイトルや歌は、坂本龍一氏の2001年のZERO LANDMINE以来、印象にない。
人から聞く情報より、スマホで見る上手に編集された情報の方が「信憑性が高い」という印象を持つ現代。
戦争が侵略を目的とするなら、土地やインフラがその土地に住む人間以外の手に渡ることは、それは戦争なのかもしれない。
「俺が正しい!」という情報が飛びかうのが、SNS。
「これが正しい!」という情報を示すのが、TV。
「ナニガタダシイ?」という情報を探し続けるのが、AI。
人間がやたらとAIを必要視するのは、潜在的に人間が忘れた、謙虚な、思いやりを含むような、そういう考え方を学び直したいからなのかもしれない。