人生は、何かを得たら何かを失い、何かを失えば何かを手に入れる。
そして最後に幸不幸はプラスマイナスゼロになる……という法則は、ない。
あの時のマイナスが、今になってプラスになっている。
(あの時の苦労が、今の仕事にプラスになっている)
あの時のプラスが、今のマイナスになっている。
(ギャンブルで当たった大金が、通院費に消えている)
人生単位で考えれば、そんなものいくらでも紐付けできる。20歳の頃のマイナスが30歳でプラスになったり、40歳のプラスが50歳のマイナスにつながったり……するわけがない。
買えるはずだった車が買えなかったり、近い人を亡くしたり、子供が救急車に運ばれたり、仕事が減ったり、子育ての時間と仕事のタイミングが合わず仕事が思うようにできなかったり、帳尻を合わせるために残り物のご飯を食べるようにしてたり、親の様子を伺いながら家族全体を見渡してどれだけ家族のためを思って動いていても、何一つプラスなどない。神経はすり減るだけで、そのムーブが本当に周囲のためになっているのかすら疑わしくなる、結論、「誰かを思って動いても、自分のためにはならない」。
性格上、自分のことを優先しても、自分のためにはならない。周りが笑っていなければ、健康でなければ『自分のためにならない』。そんな人は、最後尾の人。
恋愛なら、いろんな人と付き合ってきて、最後に選ばれる人。
仕事なら、立ち行かなくなった仕事をどうにかしてほしいと、最後に頼られる存在。
家族なら、この人に聞けばなんとななると、いざという時だけ頼る存在。
「最後尾」だから、因果(原因と結果)の結果だけが訪れ、応報(行為の善悪に応じて受ける苦または楽の報い)はどちらも訪れる。
最後尾の人の後に誰もいないから、その「報い」を誰にも向けられないから、自分で自分を褒める、傷つける。そうやって納得する。
最後尾など、誰も興味がない。何かを得て何かを失うというのは、単に「スペース」の問題。
容量が1TBなら、何かを消さなければ新しいデータは入らない。人の脳も心も体も同じこと。
吸収する期間は限られている、その期間で最大容量が決まる、若いうちに苦労を買ってでもしたほうがいいのは、最大容量を増やすため、記録するため。オーバーヒートしないように、壊れないように気をつけて、その期間にがんばる。そうして大人になって、決められた容量の中で「何かを得るには、何かを消さなければならない」となる。
因果応報も、自分のしたことで誰かが傷ついたならその誰かの負のエネルギーから体調を崩してしまう、または良いことをしたなら自分も幸せな気持ちになれる……という例え。
「自分は、間違っていない」と思っているうちは、どんな行動も相手にとってマイナスな言動だったとしても「正のエネルギー」なので苦楽のいずれが訪れても「ポジティブに捉える」ことができる。
「自分は、合っているのか」と疑心暗鬼なうちは、負のエネルギーを纏ってしまい、苦楽のいずれがおとずれても、楽しいことすらネガティブに捉える。
「自分次第」だ。
最後尾にいたくなければ、「自分は、間違っていない」と走り出せばいい。誰かがその役回りをすることになるだろう。全員で前に進みたいと思っているあなただから、最後尾を請け負ってしまう。でもそれももういいのではないだろうか。周囲は、家族は、世界は、あなたに興味がない。
「周りが笑っていなければ自分のためにならない」と思うことは驕りだ。
「周り」の中に「自分」が含まれていなければ、まずは「自分」が笑えることだ大事。
でもだれかが笑わせてくれると思うな。あなたは「最後尾」なのだから………
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みんな前に進んで、しばらくしたら、輪になろう。
そうすれば前も後ろもなくなる。人間には、ときどき輪になる時間が、必要なんだ。