「〇〇しないのが義務だ!」とAさんがBさんの行動を抑制したとき、BさんはAさんに「〇〇する権利がある!」という。行動を正当化するために・実行するために強い言葉で、行動を制しようとする。
しかしその強い言葉とは、社会的に強い言葉であり、「権利」「義務」だとか、社会的な立場で呼ぶことができる人間(先生、上司、師匠、先輩など)が、他者の行動を制しようとするときに向ける言葉。
誰々には何々する権利がある!義務がある!……
「在る」のは、権利や義務ではなく、自由だろう。
他者が近くにいるときは、手前勝手に行動するのではなく、他者を無視して自己都合で周りの状況を解釈するのではなく、「互いにとってどうすればいいか」を推し図り、時にその他者の親密さや大切さの度合いで自分かその人か、誰を優先するかを決める。自(ら)に由(もとづく・したがう)って、選択すること。とする。
「行動するのは、自由だ。」
権利や義務は、社会的な立場が『上』の者から、納得のいかない義務を押し付けられたり理不尽に権利を奪われることがある。だが自由を奪うことはできない。「〇〇する自由がある」と云う。ことにする。