慎重か、慣例か | デザインは筋肉だ

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慎重に判断すること、軽率に決めることには、人間性がある。
慣例はオートマチックで決まっていく、人の意思は入らない。

慣例による決定なのか。慎重に検討した結果なのか。
なおさらこのご時世では、わかりにくい部分がある。

前例の道筋をなぞって決まった内容は、批判が少なくて済む。
前例と今で検討して下した判断は、成果次第で批判が集まる。

慎重な判断、臆病な判断、慣例的な判断、大胆な判断、的確な判断。
他人の判断を時勢と重ねて、個人個人が抱く印象はさまざま。

慎重になるのは当然としても、臆病になるのは当然としても、大胆になれないのも当然、大胆な判断も下せないのも当然として、的確な判断を下しにくいのも当然として、とくにコロナ禍においての「判断」は、1人でするものではないのかもしれない。

「○○ではこのように判断し…今後」といなら、○○に入る指名は、複数名いると説得力が増すのかもしれない。
「○○と○○さんで、○○さん含む○○課(数名)で話合い、結果として今後…」という文書なら、説得力が増し信用度も上がる。個人ではなく、いろんな角度で検討したという内容も感じられる。人間性を感じられる(人の名前)を記すことで、文書内で慎重に検討した様子を印象づけ、安心感も醸し出せる。

これまでの文書では、代表者一名の役職や印鑑で、信頼度や安心感が出ていたが今はもう時代が違う。慣例としての文書には、今後そういった工夫が必要かもしれない。